一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 水原の求心力にも衰え?
今回は『1971年6月21日号』。定価は90円。
GWは休むつもりだったが1本アップしておく(あしたは未定)。
ただ、前回と同じ号からのもう1ネタだ。
前回は
ヤクルトの
三原脩監督について書いたが、今回は並び称される名将・
中日・
水原茂監督にまつわる事件だ。
三原監督同様、カリスマ的指揮官だが、序盤戦はBクラスに低迷。さらに言えば、強引な
江藤慎一引退騒動以後は、少しずつ批判の声もあがり始めていた時期だ。
6月1日、遊撃手・
一枝修平が突如、「自信がなくなった。退団させてほしい。退団がダメならトレードに出してほしい」と球団に直訴した。
引退とは言っていないので、自由契約に、ということか。
もともと水原監督とは合わなかったようだが、オフに水原監督が遊撃手のバートを獲得し、一枝をトレード要員にして投手を探したことで亀裂が決定的になる。
球団フロントは水原が獲得した外国人選手に失敗が多いこともあり、一枝放出に難色を示し、移籍は棚上げとなったが、この動きが一枝に漏れた。
一枝は怒り心頭となり、本当かどうか分からないが、キャンプでは打撃練習用のサンドバックに「水原」と書いていて思い切りスイングしていたらしい。
開幕してからもバートが遊撃を守り、一枝は控え。バートはメジャー時代から守備には定評があり、水原監督も「うちの内野がみんなあのプレーを見習ってくれたらと思っている。どうもうちの選手のプレーは軽率でいかん」と評価していたが、問題はバッティング。
これがさっぱりで、一枝の中には「使ってくれたら、自分のほうが」という不満があった。
近鉄、東映が一枝獲得に手を上げたという。
では、またあした(か、あさって)。
<次回に続く>
写真=BBM