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フィルダー、フランコ……強烈なインパクトを残しながらも1年で帰ってしまった助っ人は?

 

 来日1年目でいきなり活躍したものの、そのシーズン限りで退団してしまう助っ人外国人は少なくない。本人の事情だったり、チームの事情だったりと退団の理由はさまざまだが、活躍した助っ人が早々にいなくなってしまうのはファンとしては悲しいものだ。今回は、そうした「強烈なインパクトを残しながらも1年で帰ってしまった助っ人」をピックアップしてみた。

阪神はジョンソンだけでなくあの大打者も1年で退団


阪神・フィルダー


 チームの主軸として活躍したものの、1年でチームを去ってしまった選手といえば、2019年シーズンに阪神に在籍したピアース・ジョンソンが記憶に新しい。ジャイアンツから阪神に入団したジョンソンは、抜群の制球力と鋭い変化球を武器に中継ぎで活躍。最終的にリーグ2位の40ホールドと、阪神のAクラス入りに大きく貢献した。チームは残留交渉をするも、MLBのパドレスが獲得を希望したことで退団。貴重な中継ぎエースを1年で失うことになった。

 阪神は過去にも大活躍した助っ人が1年でMLBに復帰する憂き目にあっている。1989年に入団したセシル・フィルダーだ。大砲候補として迎え入れられたフィルダーはシーズン序盤から本領を発揮し、9月15日にケガで離脱するまでに38本塁打を記録。残念ながら最多本塁打のタイトルは逃したが、長打率は両リーグトップと期待どおりの活躍を見せた。しかし残留交渉が決裂しフィルダーは退団。MLBに復帰し、2年連続で本塁打、打点の打撃二冠と驚異の活躍を見せた。

MLB実績のある助っ人も1年でチームを去る



 1995年にロッテに加入したフリオ・フランコは、打率.306、145安打とシュアなバッティングでチームに貢献。MLBで首位打者のタイトルを獲得しただけあって、さすがの成績を残した。残念ながらチームの補強方針に疑問を抱いてこの年限りで退団することになったが、その際に再びチームに戻ることを約束。その言葉どおり1998年に再びロッテに再加入し、40歳にも関わらず打率.290と活躍した。

 西武は2000年にMLB通算2000安打以上と、レジェンドクラスの実績を持つトニー・フェルナンデスを獲得。103試合の出場にとどまったが、打率.327とバットコントロールの巧みさは健在でチームに大きく貢献した。38歳という年齢がネックとなって1年でチームを去ることになったが、その活躍は西武ファンの記憶に強烈に刻まれることになった。

 2013年に楽天に入団したケーシー・マギーは、1年目から全試合に出場し、打率.292、28本塁打、93打点と活躍。特に本塁打はリーグ2位と活躍した。しかし、難病を患う子どもの治療を考慮してMLB復帰を求め、そのシーズン限りで退団。2016年オフに巨人が獲得して再び来日するが、楽天にも大きく貢献した助っ人だった。

残留してもおかしくない成績だったものの1年で退団


巨人・ブラッドリー


 ほかにも強い印象を残した助っ人はいる。1991年に巨人に加入したフィル・ブラッドリーは、打率.282、21本塁打、70打点の成績を残すも、日本球界になじめずに退団。2005年にダイエーが2年約15億円の大型契約を結んで獲得したトニー・バティスタは、打率.263、27本塁打、90打点とチームに貢献するものの、年俸の高さと成績が釣り合わずに1年でチームを去ることになった。

 2016年に日本ハムに加入したアンソニー・バースは、シーズンは37試合で8勝8敗とそこそこの成績だったが、日本シリーズでは5試合にリリーフ登板して1点も許さず3勝を記録。リリーフでの3勝はNPB史上初めてだった。インパクトのある活躍を見せたが、MLB復帰のためにシーズンオフに退団した。

「強烈なインパクトを残しながらも1年で帰ってしまった助っ人」を紹介した。開幕が遅れているものの、今シーズンの新助っ人も粒ぞろいで、1年目から期待以上の活躍を見せてくれる可能性は十分にある。無事に開幕した際は、彼らの活躍だけでなく、1年で退団してしまわないよう願いたい。

文=中田ボンベ@dcp 写真=BBM
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