週刊ベースボールONLINE

編集部員コラム「Every Day BASEBALL」

洞察力に優れた比類なき投球術を持っていた東尾修

 


 ライオンズひと筋で251勝247敗、貯金は4個。1969年、ドラフト1位で箕島高から西鉄に入団した東尾修の通算成績だ。同年、西鉄は“黒い霧事件”の震源地となり、70年5月、八百長事件で主力3投手が永久失格処分となった。こんな状況では勝てるはずもない。70年から3年連続最下位。この間、東尾は登板チャンスをつかみ伸びていったが、チームは負け続けた。もし、西鉄以外の球団に入っていれば300は勝っていたと周囲は言うが、他球団だったらこれだけの登板機会があっただろうか。登板することによっていろいろ学ぶことも多いだろうから、一概には言えない面だろう。

 西鉄時代の先輩投手である河村英文のシュート、稲尾和久のスライダーを参考にして自分のスタイルを築き上げた。特に右打者の内角を厳しく攻めるシュートで体を起こし、外角のスライダーで打ち取る技術は芸術的。また、時々見せる右打者への内角スライダー、いわゆる“インスラ”は、いまではメジャー・リーグで流行している“フロントドア”。日本球界でのパイオニアと言っても過言ではない。

 洞察力に優れた比類なき投球術を持っていた。例えばバッターのタイミングが合わずにファウルしたとき、すぐに返球することを捕手に要求した。バッテリーのリズムにバッターを引き込むという狙いからだ。さらに、投球の際、捕手のミットと打者の両方がきちんと目に入っていた。指からボールが離れる直前、打者に打ち気を感じなかったらど真ん中に投げ込み、タイミングがあっていると感じたらボールゾーンに投じる芸当をやってのけたという。まるで指先に目がついているようなピッチングだった。

 投手指導にも優れていた。一例を挙げるとば西武監督時代の97年、横浜からトレードで移籍してきたデニー友利に対し、「真ん中を狙って何球思いどおりにいけるか?」と問いかけた。「真ん中付近ならいけますが、ど真ん中はそんなに続けられません」とデニーが返答すると、「だったら、せっかく150キロぐらい出るボールがあるんだから真ん中を目がけて投げろ。そしたらどこかストライクゾーンには行くからフォアボールはないだろ」とアバウトなピッチングを求めた。それまでデニーが受けていた「10球中8球は狙ったところに行かないと一軍では使えない」という指導とは真逆の考え方。目の前の靄が晴れたデニーは西武で中継ぎの主軸として能力を発揮することになる。

 現在、西武は連覇を果たしながら投手陣の防御率は2年連続リーグ最下位。東尾ならどのような指導をして投手陣を立て直すか――。そんな夢想もしてしまう。

写真=BBM
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング