一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 衣笠祥雄、山本浩のライバル関係
今回は『1971年7月5日号』。定価は100円。
前回の同じ号から4回目。今回は巨人・堀内恒夫の写真にした。
6月8日から10日、後楽園での巨人─
広島の首位攻防戦は殺気立っていた。
担当記者は言う。
「あの3連戦のヤジには堀内をはじめ、巨人の血気盛んな連中はカッカしていた。ぶつけろ、狙えという言葉が混じっていたらしい」
実際、8日が
上田武司、9日が
黒江透修(2つ)、
高田繁、10日には堀内が当てられた。堀内は
佐伯和司から左ほおにぶつけられ、担架で運ばれ、翌日には、顔がお岩さんのように腫れあがった。
堀内は、
「今度、広島戦で登板できる。今度は俺がお返しをする。投手にまでぶつけるんだから問答無用だ」
と憤った。
実は3連戦最後の10日、記者席には巨人の広報から「記録メモ特集死球」と書かれた資料が配られた。
それによれば、6月10日までに巨人が受けた死球は21(堀内は22個目)、巨人が与えた死球は6。特に6月1日からは10試合で10個だった。
それだけではない。巨人は同時に「故意の死球が目立っている。相手ベンチからそういうヤジまで飛んでいる。何とかならないのか」とセ・リーグの鈴木龍二会長に意見書を出した。
これに対し、鈴木会長は
「故意とは思えない」と一蹴。「巨人は6連覇もしているプロ野球の王者じゃないか。死球くらいで音を上げるのはおかしいよ。お嬢さんが野球をやってるわけじゃあるまいし」。
とも話していた。かなり乱暴な話だが、実は巨人が暗に非難の対象にした広島は、巨人からだけではないが、すでに26死球を受けていた。
身内の
牧野茂コーチも、
「死球が多いのは、うちの打者が好調な証拠。当たっているから投手は際どいところを攻めてくる。打つほうは勢いこんで向かっていくから、どうしても数が増える」
と冷静に分析していた。
もちろん、当てられた選手はまた違う。好調時にぶつけられた
末次民夫は、珍しく語気を強くする。
「その向かってくるのを巧妙に利用してくるやつもいるんですよ。僕にぶつけた
中日の投手陣がそうだった。当たっているからひとつぶつけてやれといった狙いがありあり見えた。ケガをさせても当たった打者のせいという考え方だ。汚いやり方だ。自分たちの未熟なのを忘れて卑怯なやり方だ」
実際、広島の投手陣は、メジャー通の
根本陸夫監督、
広岡達朗コーチのもと、1年前から「
ブラッシュボール」を多用させているという見方があった。
ブラッシュボールは相手打者の近くを攻め、腰を引かせ、次の外角球を生かすための技術という考え方だが、制球が定まらないタイプに投げさせたら当然、死球もある(狙うのがビーンボールらしい)。
特に広島、中日はON以外への内角攻めがかなり厳しくなっていた。なぜON以外というと、これは2人が死球の避け方がうまかったこともあるようだ。
長嶋茂雄は言う。
「俺だって死球は怖い。しかし死球というのは避けなければウソだ。自分の体は自分で守らないとね。俺の場合は構えたとき右足に重心があるから、いつでもさっと体の左側の力を抜ける。よほど体調の悪いときでない限り、避ける自信はある」
また、
王貞治はこう言う。
「僕の場合、一本足打法なので左足を狙われることが多い。しかし、要は気合だと思う。気合が入っていれば避けられるし、たとえぶつかっても重傷になるやつを軽傷ですむように受ける。体が気力で満ちていれば、死球なんてはねのけてくれると言ってもいい」
これは合気道か。
なお、一触即発と思われた6月15日からの広島─巨人4連戦は互いに警戒したためか、4試合目に巨人・阿野が1つ死球を受けただけで、特に騒ぎもなかった。
2戦目に登板した堀内もブラッシュボールを使うことなく、86球で完封勝利を挙げてしまった。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM