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プロ野球回顧録

巨人の背番号「18」をエースナンバーにしたのは?

 

巨人入団の1936年から引退する57年まで18番を背負った中尾碩志[中尾輝三]


 1934年に誕生した巨人(結成時は大日本東京野球倶楽部)の長い歴史の中で、「18」番を背負ったのは、現在の菅野智之まで9人しかいない。

 最初に着けたのが、のちに通算303勝を挙げるビクトル・スタルヒンで、日本職業野球連盟結成前年の35年のこと。ただし、翌36年にリーグ戦が始まると「17」に変更、「18」は前川八郎が背負った。前川はこの年に入団の二刀流(野手兼投手)で、巨人軍第5代四番打者でもある。投げては38年までの在籍3年間(38年に現役引退も、46年に阪急で復帰)で18勝を挙げている。

 そして39年に京都商業から巨人入りした中尾碩志(47年までは輝三)だ。沢村栄治の後輩に当たる左腕は、新人年から「18」を着けて39試合に登板し12勝を記録。以降、57年の引退まで「18」を背負い続け(42年に兵役に就き、46年に復帰。この間に近藤貞雄が「18」を着ける)、実働16年で516試合に投げ、209勝(127敗)を挙げる活躍で「18」がエースナンバーに。

 この後、58年に2年目の藤田元司が継承して29勝(翌年は27勝)を挙げ、次いで67年から2年目の堀内恒夫(1年目は「21」)が背負いV9時代の大黒柱として君臨したことで、巨人の「18」=エースナンバーは定着したと言える。

 以降は堀内の引退後、2年の空白があって86年から桑田真澄が背負い、2006年の巨人退団後(07年はMLBのパイレーツへ)は再び5年の空白のあと、12年にソフトバンクからFA移籍の杉内俊哉が着け、昨季よりエース・菅野智之が継承した。

 巨人の「18」に右のエースの印象が強いのは、9人の中で左腕が中尾と杉内の2人だけであることが影響しているが、背番号「18」での勝利数で比較すると、209勝の中尾が唯一の大台超えで他を圧倒している。なお、187勝の堀内(背番号「21」の新人年に16勝あり)、173勝の桑田、102勝の藤田(背番号「21」の新人年に17勝あり)と続き、100勝超えはこの4人のみだ。

 新人年の13年から「19」を背負って17、18年は2年連続で沢村賞に輝いた菅野は、6シーズンで76勝を積み上げた。そして球団、原辰徳監督の強い勧めもあり、19年より「18」へ。昨季は腰痛などに苦しみながらも11勝を挙げているが、巨人伝統のエースナンバーを背負う右腕は、これから先、どのようなパフォーマンスを見せてくれるだろうか。

文=坂本 匠 写真=BBM
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