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週べ60周年記念

伊勢大明神、再び/週べ回顧

 

 一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

勝ち運のない梶本隆夫


阪急・西本幸雄監督



 今回は『1971年7月19日号』。定価は100円。

 前回と同じ同じ号からもう一つ。
 1969年、三原脩監督時代、圧巻の長打力と勝負強さで“伊勢大明神”とも言われた伊勢孝夫が打率は低いものの、10試合で7本塁打と打ちまくっていた。
 しかもギリギリのホームランはまずない。打った瞬間、入ったと分かるホームランをバックスクリーンの右左へ放り込んだ。
 その飛距離の源とも言えるのがリストの強さだったが、左手首に死球を受け、骨折してから鳴かず飛ばずが続いていた。
 それがこの年、ケガが癒え、6月にスタメンに抜てきされると、再びバットの勢いを取り戻した。
 最終的にだが、打率は.230ながら84安打中、28本がホームランだから尋常ではない。

 神がかってよく打った伊勢に対し、神がかって運がなかった(?)のは阪急のベテラン左腕・梶本隆夫。阪急は、この年、12節終了時点で3完封負けをしているが、すべて梶本の先発試合だった。
 決して打たれたわけではない。3試合はすべて大接戦。西本幸雄監督は、
「よく投げているのに勝てない。カジが投げると、打つほうが何とか点を取らなきゃと逆に緊張するからかもしれない。こんなめぐりあわせは、どこかで断ち切らねば」
 と言っていた。
 当の梶本は「俺のようなついてない男がいると、かえって迷惑する。ワシは帰るで」
 と登板のない日は、さっさと家に帰るようにしていた。とにかく優しく、気配りの人だったらしい。

 同じ阪急で、まったく気配りがないのが、コーチ兼任で復帰したスペンサー
 西京極の近鉄戦の前、スペンサーは下痢を理由に病院に行き、練習に顔を出さなかった。いつものわがままと気にしなかった西本監督は、その日の“あて馬”にスペンサーを使ったのだが、なんと試合の5分前に姿を現し、「名前があるなら俺が出る」とそのまま試合に出た。

 スペンサー効果は確かにあった。相手のクセを研究し、弱点を突く野球で阪急は強くなり、首位を走っていた。
 この年、スペンサーが三塁コーチに立つと、いつもラインを消して三塁線ぎりぎりまで来て、捕手のサインを覗き込んでいたという。本当に盗んでいたかは別にし、相手チームにはかなりプレッシャーになっただろう。
 ただ、それを西本監督はどう思っていたのだろう。 

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM
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