一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 オーナー指示の放棄試合
今回は『1971年8月2日号』。定価は90円。
1971年7月13日、西宮球場での阪急─ロッテ戦。7回表、1対4と劣勢に立たされていたロッテの攻撃だ。
先頭打者・江藤慎一へ2ストライク1ボール後、アンダースローの
足立光宏の1球はスライダー。捕手の
岡村浩二はストライクと思い、「よし、やった」とつぶやき立ち上がったが、砂川球審のジャッジはボール。
しかし、ここで岡村が「えっ」とにらみつけると、今度はストライクの
コールをした。
砂川球審はのち、
「コースが外れていたのでボールと判定したが、江藤がスイングしていたのでストライクに直した。岡村のアピールは関係ない」
と話していた。
当然、ロッテ・
濃人渉監督は怒る。三塁コーチだったロッテの矢頭は砂川球審を突き飛ばし、退場を命じられると殴りかかった。
執拗な抗議に対し、西宮の阪急ファンも興奮し、物を投げたり、グラウンドに乱入し、江藤に殴りかかったりと大騒ぎ。騒然とした雰囲気になった。
よくなかったのは、ロッテの中村長芳オーナーが三塁のロッテベンチ後ろで試合を見ていたことだ。
濃人監督の抗議が長引く中、審判からは「どうしても納得しないなら提訴試合にしてもいいから再開してほしい。ダメなら没収試合にするしかない」と通告されたが、このとき中村オーナーから濃人監督へ、
「審判が判定を覆さない限り、試合を再開しなくていい」
と指示を出ていた。
その後、濃人監督は武田代表と話し、阪急からは渓間代表が武田代表に損害賠償などの話をしたらしい。武田代表は中村オーナーを説得したが、気持ちは変わらず。
35分の中断後、ロッテナインは審判のプレーボールに応じず、放棄試合になった。
中村オーナーは「砂川君は終始一貫、ロッテに不利な判定を下していた。あまりにひどすぎた。ファンには申し訳ないが、筋を通すことがしかるべき道であるこると思った」とコメントしたが、記者たちの猛烈な批判に、徐々に事態の深刻さに気付く。
翌14日、謝罪の記者会見を開いたが、収まらないのは阪急だ。球場の破損の修理代、入場料の払い戻しなど730万円あまりを要求。ロッテは制裁金を合わせ、1000万円の出費となった。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM