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編集部コラム

1981年の巨人・江川卓と沢村賞選考の波紋

 

誰にも似ていないスーパースター


今回の表紙



 1980年代を1年1冊で振り返る好評シリーズ、6月2日発売号のテーマは1981年だ。
 その主役でもあった「江川卓」という野球選手を振り返るとき、江川が巨人入団前後に受けた、あのすさまじいバッシングは避けて通れない。
 のちの桑田真澄どころの騒ぎではない。大げさではなく、日本中を敵に回し、球史最大級のバッシングを受けた。

 78年オフ、「江川事件」と言われたルール破りを正当化はできないが、当時の批判報道は明らかに異常だった。
 あそこまで過熱したのは、あまりに常識外の事件だったこともあるが、加えて、江川が抵抗したからでもある。
 何度も会見を開き、海千山千の大勢の記者たちの前に立った。時に怒鳴られ、ののしられながら。
 そこで、うなだれて黙っていたら、「ある意味、大人たちの被害者となった若者」で終わったかもしれないが、江川は、しばしば応戦し、あの「興奮しないでください」の発言もあった。
 平気だったはずはない。引退からかなり経って、当時の新聞を見て嘔吐したという話もある。
 しかし、当時23歳の江川は逃げなかった。
 いい悪いではなく、ただすごいと思う。

 入団してからも、1年目は敵ファンだけではなく、味方ファンからもやじられ、先輩選手から露骨な嫌味を言われることもあったという。

 それでも時間と、江川自身の好成績で、少しずつファンに認めら、笑顔も増えた。
 2年目の80年には16勝で最多勝。オフの契約更改で「これからは本来の明るい自分を出します」と宣言した81年シーズンの最終盤に事件は起きた。
 入団前のブランクの影響も消え、速球が復活。20勝を挙げ、リーグ優勝に貢献した後の沢村賞選考だった。

 結果を聞き、日本ハム江夏豊は「許せない」と言った。「誰が見たって、江川に決まってるじゃないか」。
 巨人のベテラン、堀内恒夫は「沢村賞の権威がなくなっちゃうよ。日本シリーズの前だというのにバカなことをしてくれたものだ」と腹立たし気に言った。

 日本シリーズ直前に発表された沢村賞は、江川ではなく、同じ巨人の西本聖に輝いた。

 1リーグ時代の47年、読売新聞社が伝説の大投手・沢村栄治(巨人)を記念して設立したもので、2リーグになってからは、セ・リーグの投手のみを対象に贈られていた。
 選考基準は20勝以上、勝ちと負けの差が10以上、防御率2点台以下、奪三振率、優勝への貢献度など。読売新聞社が東京運動記者クラブ部長会に委嘱した選考会(当時)の前、大部分の声は「江川で決まりだろう」だった。
 20勝(6敗)、防御率2.29、221奪三振はいずれもリーグトップ、7完封を含む20完投も素晴らしい。対抗馬は西本だったが、18勝(12敗)、防御率2.58、126奪三振はいずれも見劣りした。

 ただし、選考会では「西本は6月11日時点で10勝2敗、江川が7勝3敗。江川は数字を伸ばしたのは独走態勢に入ってからだった」「投球回では西本のほうが上回っているではないか」など西本寄りの発言が目立った。
 判官びいきに加え、3年前の入団の経緯や普段の愛想のない江川の受け答えに反感を持っていた記者も多かったことも影響されたようだ。
 結果は西本16票、江川13票、白紙が2票。「どうせ江川で決まり」と思い、俺だけは西本に入れよう、という人が多かったこともあった。

 沢村賞が西本と報道された直後、各新聞社、テレビ、ラジオ、さらには週べ編集部の電話も鳴り響いた。
 読者からの疑問と抗議だ。
「西本がダメだとか嫌いだとか言っているのではない。むしろ江川より西本のほうが好きだ。しかし、沢村賞ならどう考えても江川だ」
 という声がほとんどだった。

 一番の被害者は西本だろう。江川からは「おめでとう。よかったね」と祝福されたが、自身は「江川さんのものと思っていた。素直に喜んでいいのか」と表情を曇らせ、その後の日本シリーズではヤジも飛んだ。
 ただ、雑草男・西本の強さはここからだ。日本シリーズでは2勝(完封)でMVP。結果で雑音を静まらせた。

 騒動時、ともにバッシングを受けた巨人・長谷川実雄代表が、しみじみ語った言葉が印象深い。
「江川君に言ったんです。3年前、君の味方は誰もいなかった。それがいま16対13になった。ほぼ伯仲するくらい味方を得たんだと考えて、頑張ろうよって」

 果たして、江川自身はどう思っていたのだろう。
 ネガティブなことは、のちになってもあまり語っていないので、少ない言葉から推測するしかないが、日本シリーズ第6戦。劣勢に立った際の大エガワ・コールを「あれほどうれしいことはなかった」と振り返った言葉に嘘はないだろう。 

 あの年の江川はファンと一体となり、優勝、日本一を目指し、その夢がかなった。マスコミが選ぶ、沢村賞など、どうでもよかったのだと思う。
 ただし、この後、誰からも愛されるスーパースターにはならなかったところがまた、江川らしい。(文・井口英規)
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