大器晩成――プロ野球で活躍した選手の中には30歳を超えてから成績がピークを迎えた選手も少なくない。「ウサギとカメ」で言えば足の遅いカメだが、地道に一歩ずつ前に進み、苦境を乗り越えて身につけた技術で長年活躍してきた。
山本浩二、
和田一浩は30歳を超えてから全盛期を迎えて名球会入りを果たしている。遅咲きで覚醒した選手たちを振り返ってみよう。
・山本浩二(広島)
※通算成績 2284試合出場、打率.290、536本塁打、1475打点、231盗塁
NPB唯一の大学出身で500本塁打を達成した「ミスター赤ヘル」。4度の本塁打王、3度の打点王のタイトルはすべて30歳以降に獲得した。20代で146本塁打を放ったのに対し、30代で長距離砲として開眼。5年連続40本塁打以上マークするなど390本塁打を積み上げた。現役最終年の40歳も打率.276、27本塁打、78打点。背番号「8」は広島球団史上初の永久欠番だ。
・和田一浩(西武、
中日)
※通算成績 1968試合出場、打率.303、319本塁打、1081打点、76盗塁
西武に捕手として入団したがレギュラーに定着できず、持ち味の打力を生かして2001年オフに外野へコンバート。これが野球人生の大きな転機になった。30歳なった翌02年に30歳で初めて規定打席に到達し、打率.319、33本塁打、81打点と大ブレーク。05年には打率.322で首位打者を獲得した。中日にFA移籍以降も38歳の10年にリーグMVPに輝くなど衰え知らずで、15年に史上最年長の42歳11カ月で通算2000安打を達成した。20代は計149安打だったが、30代以降で1901安打と大輪の花を咲かせた。
・矢野燿大(中日、阪神)
※通算成績 1669試合出場、打率.274、112本塁打、570打点、16盗塁
1991年ドラフト2位で入団した中日時代は
中村武志から捕手のレギュラー奪えず、97年オフに阪神へトレード。移籍初年度となる30歳の98年に自己最多の110試合に出場すると、99年にはプロ9年目で初の規定打席に到達し、打率.304をマークした。35歳の03年に打率.328、14本塁打、79打点と球界を代表する捕手になり、2度のリーグ優勝に貢献した。19年から阪神の監督に就任。
・福地寿樹(広島、西武、ヤクルト)
※通算成績 1009試合出場、打率.272、20本塁打、184打点、251盗塁
最初に入団した広島では代走や守備固めでの出場が多くレギュラーをつかめなかったが、2006年の開幕前に西武にトレード移籍。31歳のシーズンとなった同年に91試合に出場して打率.289、25盗塁の好成績をマークした。
石井一久のFA移籍で人的補償として07年オフにヤクルトに移籍すると、さらに大きな輝きを放った。08年に初の規定打席に達して打率.320、9本塁打、61打点といずれも自己最高の成績を残し、42盗塁とプロ15年目で初のタイトルを獲得。09年も2年連続盗塁王を獲得した。今年からヤクルトの二軍チーフコーチを務める。
・能見篤史(阪神)
※プロ16年目
※通算成績 409試合登板、103勝93敗1セーブ47ホールド、防御率3.32
鳥取城北高時代は、平安・
川口知哉(元
オリックス)、阪神で同僚になる水戸商・
井川慶とともに「高校生左腕三羽ガラス」と称された。大阪ガスを経て04年自由獲得枠で阪神に入団。好不調の波が激しく1年を通じて一軍定着できないシーズンが続いたが、30歳を迎えた09年に自己最多の13勝と覚醒。その後もエース左腕として先発ローテーションの中心になり計5度の2ケタ勝利をマークしている。18年にシーズン途中で救援に配置転換され、6月以降は42試合登板で防御率0.86と驚異的な安定感だった。40歳シーズンの昨年も救援で自己最多の51試合に登板。現役最年長左腕はまだまだチームに不可欠だ。
・糸井嘉男(日本ハム、オリックス、阪神)
※プロ17年目
※通算成績 1502試合出場、打率.302、163本塁打、697打点、297盗塁
飛び抜けた身体能力で知られる糸井も順風満帆な野球人生だったわけではない。2004年に自由獲得枠で日本ハムに投手として入団したが結果を残せず、06年に外野にコンバート。外野のレギュラーを掴んだのは28歳の09年だった。同年からNPB史上初の6年連続打率3割&20盗塁&ゴールデン・グラブ賞獲得の偉業を達成。オリックスにトレード移籍後も、14年に打率.331で首位打者、16年に53盗塁でNPB史上最高齢の35歳で盗塁王に輝いた。同年オフに阪神にFA移籍。39歳を迎える今年も主軸として活躍が期待される。
写真=BBM