開幕投手は球団の顔であり、エースの証でもある。投手にとってこれほど名誉なことはない。前年までの実績を見れば予想もしやすく、外れても納得の人選だろう。だが、2004年の中日の開幕投手だけは、誰も予想できなかったのではないか。
4月2日のナゴヤドームの
広島戦。開幕マウンドに立ったのは、当時のエースだった
川上憲伸でも、ベテランの
山本昌でもなく、川崎憲次郎だった。場内にその名が
コールされると、ナゴヤドームは何とも言えないどよめきが起きた。
川崎は93年に
ヤクルトの日本一に貢献し、98年には最多勝に沢村賞も獲得。闘志あふれる投球で
巨人キラーとも言われた右の本格派。しかし、大きな期待とともに01年にFA宣言で中日へ移籍したものの、直後に右肩の痛みに襲われ、その後の3年間は一度もたりともマウンドに上がっていなかった。
川崎の起用を決めたのは、この年から監督に就任した
落合博満だった。「ドラゴンズというチームを変えるために川崎を指名した」と説明。それは2011年まで続く落合政権の中で、監督が自ら決めた唯一の投手起用だった。
初回こそ無失点に抑えた川崎だったが、2回に広島打線につかまった。大量5失点で途中降板。やはり荷が重かった。それでも川崎に黒星をつけさせるなとばかりに打線が奮起。中日は逆転勝利をつかみ取った。
大きな波紋をよんだ登板だったが、落合監督にすれば奇策でも何でもなかった。チームに大きなインパクトを与える必要があったし、3年間も投げられないでいる川崎に決着をつけさせる必要もあったという。大きな目的意識とともに臨んだ開幕戦だったのだ。
川崎はこの年限りでユニフォームを脱いだ。開幕投手がその年で引退するのは非常に珍しい。そして開幕戦のサプライズ起用は間違っていなかったことを証明するように、落合監督は1年目にして優勝を手に入れたのだった。
写真=BBM