部署異動や転勤がサラリーマンの大きな転機になるように、プロ野球選手も他球団への移籍が野球人生の分岐点になる。新天地で力を発揮できずに消えてしまう選手も少なくない中、環境を変えることで大活躍した選手もいる。
野田浩司、
藤田一也、
大田泰示……トレード移籍によって大ブレークした選手たちを振り返ってみよう。
野田浩司(
阪神、オリックス)
※通算成績316試合登板、89勝87敗、9セーブ、防御率3.50
1988年ドラフト1位で阪神に入団。90年に11勝をマークするなど先発の一角で投げ続け、92年も8勝9敗と負け越したが防御率2.98と好成績だった。24歳の92年オフに阪神が打力を強化するため
松永浩美との交換トレードでオリックスへ。93年に17勝5敗で最多勝を獲得するなど同年から3年連続2ケタ勝利とエース格の働きを見せた。
・北川博敏(阪神、近鉄、オリックス)
※通算成績1264試合出場、打率.276、102本塁打、536打点
1995年ドラフト2位で阪神に入団したが、99年に就任した
野村克也監督から捕手失格の烙印を押されてファーム暮らしが続いた。00年オフに
湯舟敏郎、
山崎一玄とともに、
酒井弘樹、
面出哲志、
平下晃司との3対3のトレードで近鉄に移籍。翌01年に球史に残る「代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打」を放ち、リーグ優勝に貢献した。その後も04年に打率.303、20本塁打を放つなど、持ち味の打力を生かして水を得た魚のように活躍した。
・田畑一也(ダイエー、ヤクルト、近鉄、
巨人)
※通算成績166試合登板、37勝36敗、1セーブ、防御率4.14
1992年ドラフト10位でダイエー(現
ソフトバンク)に入団したが、4年間の在籍期間で2勝のみ。ところが、95年オフに
柳田聖人、
河野亮との2対2の交換トレードで
佐藤真一とともにヤクルトへ移籍して覚醒した。96年に12勝をマークすると、97年も15勝を挙げてリーグ優勝に貢献。成績が低迷していた選手たちを復活させる野村克也監督の手腕は「野村再生工場」と評されていたが、田畑は間違いなくその代表格だろう。
・藤田一也(
DeNA、楽天)
※通算成績1352試合出場、打率.269、24本塁打、318打点
2005年ドラフト4巡目で横浜(現DeNA)に入団。内野の定位置をつかめなかったが、12年6月に
内村賢介との交換トレードで野球人生が大きく変わった。楽天移籍2年目の13年にプロ9年目で初の規定打席に到達し、球団創設以来初の日本一に貢献。好守で再三チームを救い、当時の
星野仙一から「シーズンで10勝以上の価値があった」と絶大な信頼を得た。現在もユーテリティープレーヤーとして貴重な存在だ。
・大田泰示(巨人、日本ハム)
※通算成績579試合出場、打率.264、58本塁打、222打点
近年のトレード移籍で最も成功した選手だろう。2009年ドラフト1位で巨人入りし、
松井秀喜がつけた背番号55を継承したが8年間で9本塁打と伸び悩んだ、16年オフに
吉川光夫、
石川慎吾との交換トレードで
公文克彦とともに日本ハムに移籍。17年に15本塁打をマークすると、昨季は自己最多を更新する20本塁打とチームに不可欠な主軸に成長した。巨人で通算15試合登板だった公文も17年が41試合、18年が57試合、昨年が61試合登板と救援陣を支える鉄腕として活躍している。
・桑原謙太朗(横浜、オリックス、阪神)
※通算成績223試合登板、15勝13敗、76ホールド、防御率3.48
2008年大学生・社会人ドラフト3巡目で横浜(現DeNA)に入団し、2年後の10年オフにオリックスにトレード移籍。しかし、4年間の在籍期間で0勝0セーブとファームで大半を過ごし、14年オフに
白仁田寛和との交換トレードで阪神に移籍した。当時の
金本知憲監督にセットアッパーで抜擢され、17年に67試合登板で4勝2敗、39ホールド、防御率1.51の大活躍で最優秀中継ぎ投手を受賞。翌18年も32ホールドをマークした。
・榎田大樹(阪神、西武)
※通算成績232試合登板、28勝24敗、3セーブ、60ホールド、防御率4.11
2011年ドラフト1位で阪神に入団。1年目から2年間はリリーフで大活躍をしたが、その後は故障や若手の台頭で登板が減少。17年はわずか3試合の登板に終わり、18年開幕直前に
岡本洋介とのトレードで西武に移籍した。新天地で先発ローテーションを担い、自己最多の11勝をマーク。リーグ優勝に大きく貢献した。
写真=BBM