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パ・リーグ6球団 “史上最強”の二塁手は?

 

千葉ロッテマリーンズ



 一、三塁手がメーンではあった落合博満だが、1982年は二塁手で127試合に出場している。同年は打率.325、32本塁打、99打点をマークして史上最年少(28歳シーズン)で三冠王に輝き、守っては守備機会635回で7失策にとどめている。翌年からは二塁での出場こそないものの、ロッテに在籍した86年までに6度の首位打者、本塁打王&打点王が3度に加え、さらに史上最多の3度の三冠王と、言わずと知れた歴代屈指の好打者だ。“二塁手”としては単年の出場ではあるものの、同年の成績だけでも“歴代最強”と言えるだろう。

埼玉西武ライオンズ



 黄金時代の西武でゴールデン・グラブ賞8回、ベストナイン5回に輝いた現監督の辻発彦がチーム史上最強の二塁手で間違いない。堅守に、しぶとい打撃、そして積極的な走塁。攻守走でチームに欠かせない存在だった。「僕は常に“死に方”を考えていた」という。打撃では自らがアウトになっても走者を進めることを考えていたなど、フォア・ザ・チームに徹する姿勢が黄金時代の強さの源だった。87年巨人との日本シリーズで秋山幸二の中前打で一塁から本塁に生還した“伝説の走塁”も語り草。まさに球史に残る二塁手だ。

福岡ソフトバンクホークス


ダイエー・井口資仁


 100万ドルの内野陣を形成した岡本伊三美や、ブレイザーがその守備を高く評価した桜井輝秀、二塁だけでなくオールラウンドで活躍した河埜敬幸などいぶし銀のプレーヤーが多い中、現ロッテ監督を務める井口資仁(入団から2001年2月28日までは登録名:忠仁)は守備だけでなく、パワーあふれる打撃と球界トップクラスのスピードで“強いダイエー”をけん引した。もともとは遊撃手だったが、左肩手術を経て復帰した01年に二塁コンバート。ここで折れなかったことが井口を大成させる。足に活路を見出すと、01年は44盗塁、03年は42盗塁をマークして盗塁王を獲得。走るために投手を観察するうちに配球も読めるようになり、打撃も向上した。攻走で自信がついたことで守備も光り、01、03、04年とゴールデン・グラブ賞とベストナインをダブル受賞している。そんなホークスを代表する名二塁手は、昨季同様、今季も“古巣”を苦しめそうで、何とも怖い存在だ。

北海道日本ハムファイターズ



 ベストナイン6回、ゴールデン・グラブ賞5回に加え、NPB通算1499安打を放った田中賢介がファイターズ史上最強の二塁手と言っていいだろう。北海道移転後の2006年からレギュラーポジションを奪い、攻守走3拍子そろったプレースタイルで5度の優勝メンバーとなった。13年にはMLBに挑戦し、サンフランシスコ・ジャイアンツで日本人選手50人目のメジャーデビューも果たした。アメリカでは思うような結果を残せなかったが、15年に日本ハム復帰後は勝負強い打撃と堅実な守備で変わらない存在感を発揮。スタンドからの熱烈な「賢介」コールなど、ファンにも愛された名二塁手としてその名を刻んだ。

オリックス・バファローズ



 前身の阪急時代、球団創設初の日本一に輝いた1978年。強肩強打の二塁手として、攻守でチームを支えたのがマルカーノだ。もとは堅実な二塁守備が評価され、75年に入団したが、打撃でも日本野球にアジャスト。78年は四番に座ってリーグ最多6三塁打に、27本塁打と長打力も発揮して94打点でタイトルを獲得した。翌79年には自己最多の32本塁打、97打点と阪急打線をけん引し、守っては遊撃・大橋穣と鉄壁の二遊間を形成。攻守で75年からリーグ3連覇を果たす“阪急黄金期”を支えた。

東北楽天ゴールデンイーグルス



 打撃を加味すれば昨季から加入した浅村栄斗となるが、「二塁手」と考えれば、名手・藤田一也の右に出る者はいない。ゴールデン・グラブ賞3度(2013、14、16年)の安定した守備力は、歴代の指揮官が惚れ込むほどのレベルにあった。球団初のリーグ優勝を成し遂げた13年には攻守を連発し、星野仙一監督が「シーズンで10勝以上の価値があった」と絶賛するほど。7月で38歳を迎えるベテランだが、今でもベンチに欠かせぬ守備力を保持している。

写真=BBM
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