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平成助っ人賛歌

ロッテの“救世主”ウォーレンの「不正投球疑惑」騒動を振り返る/平成助っ人賛歌【プロ野球死亡遊戯】

 

台湾球界から日本へ


ロッテ・ウォーレン


 2000年(平成12年)3月17日、キアヌ・リーブス主演の映画『マトリックス』のDVDが発売された。

 同年3月4日に世に出たSONYのプレイステーション2はDVD再生機能がウリだったが、『マトリックス』とPS2をセットで買った人も多かった。当時、DVDプレーヤーはまだ高額で、3万9800円のPS2はゲーム機であると同時に、お手頃に最新技術のDVDを体験できる魅力的な最新家電でもあった。

 PS2発売から約1年後、まだ十代の宮地真緒が表紙を飾る雑誌『サブラ』(小学館)では、本格的デジタル時代の到来とDVDホームシアター特集が組まれている。「メールで知り合い、デジカメで仲良く、ホームシアターでフィニッシュ……。これがsabra世代の三種の神器。キミも今日から始めよう!!」って今は格安スマホひとつでそれらが全部できてしまうが、リード文から「ビデオより映像がキレイで、音も映画館みたいな感じなんだよ。ウチで見られるよ。『マトリックス』とかあるし。スゲー迫力だよ」なんつって気になる女の子に勇気を出して声をかけようという記事内容である。「本物志向の女性には高級システムのスピーカーセットを」なんてもはやネタかガチかなんだかよく分からないが、要はモテるためにはDVDプレーヤーは欠かせないという、今思えばミレニアムに浮かれる世の中で、PS2は凄まじい勢いで売れまくったわけだ。

 さて、そんな20年前、当時のプロ野球界ではひとりの外国人投手が話題になっていた。千葉ロッテマリーンズのブライアン・ウォーレンである。メジャー経験はなく、マイナーで通算298試合に登板、39勝34敗14セーブ、防御率3.07。98年7月に台湾の和信からロッテ入り。入団会見で31歳右腕は「オレの武器はスライダーにシンカー、MAX147キロのストレートだ」と自己紹介をした。

「去年、アメリカでもマイナー契約ならフィリーズやレンジャーズから話があったが、アメリカよりも台湾でプレーしたほうが、日本のスカウトがたくさん来ると思ったから、台湾へ行ったのさ」

 年齢的にもうメジャーでのプレーは厳しい。ならば、マイナーでくすぶっているより稼げる日本へ(ロッテから提示された年俸は3000万円)。守護神不在に悩むマリーンズの江尻亮編成部長が渡台すると、ウォーレンも「日本へ行けないのならアメリカへ帰る」と台湾球界残留を拒否してまでロッテ入りを強く希望した。

 ちなみにウォーレンの入団会見は98年7月3日だが、この時期のロッテはあの平成球史に残る18連敗の真っ只中である。「今、マリーンズの負けが続いていることは知っている。みんな、フラストレーションを感じているだろう。努力して、少しでもチームの勝ちに貢献できるように頑張るよ」と意気込みを語ったウォーレンは、チームの連敗記録が18で止まった翌日、7月10日の日本ハム戦で1点を追う7回に来日初登板をすると、2回無失点に抑え、ロッテをシーズン初のサヨナラ勝ちへと導いた。16日には来日初勝利も挙げ、早くもブルペンに定着した。来日初年度は、鋭く変化するムービングファーストボールを武器に24試合で防御率0.93という好成績。翌99年にはクローザーとして30セーブを挙げ、オールスター初出場に最優秀救援投手のタイトルを獲得してみせた。

ボールに傷をつけていると疑われて


西武ベンチに中指を突き立てたウォーレン


 出来高を含め年俸は2億円にまで跳ね上がり、ロッテの救世主的な活躍でジャパニーズドリームを実現した男。しかし、だ。すべてが順調に見えた99年に、ある問題が起きていた。6月8日、近鉄対ロッテ戦(ナゴヤドーム)の試合後、近鉄側がマウンド上のウォーレンがボールに傷をつけていると主張したのである。数日後、審判員が抜き打ち検査を実施したが、グラブやユニフォームなどから、不正投球につながるものは何も出てこなかった。だが、これ以降のウォーレンには疑惑の目が向けられることになる。

 そして、2000年6月27日のロッテ対西武戦(千葉マリン)で事件が起きる。延長10回表二死、代打・玉野宏昌(96年ドラフト1位、清原和博の背番号3を継承した)がウォーレンから三振してチェンジになり、攻守交代でボールを受け取った西武の杉本正投手コーチが硬貨大の傷に気付いて、東尾修監督に報告。山本球審に対してボールを見せながら、「こんな傷がついている。不正投球だ!」と詰め寄り、ロッテの山本功児監督や後藤球団代表らを巻き込んで猛抗議。結局、試合は4対4で引き分けたが、試合後、東尾監督は全審判を「来てくれ」と呼びだし、ロッテの監督室で1時間にわたり抗議を続けた。その場で橘主任審判から「微妙な疑わしい傷がついていた」という限りなくグレーに近い言葉も引き出した。

 翌28日、東尾監督の怒りは収まらず「事実を話しただけだ。みんなもボールを見せてもらえばいい」と臨戦態勢。パ・リーグの村田事務局長は審判の事情聴取後に「500円玉大のスリ傷がついていた。ウォーレンの行動には疑わしい部分が残る」と見解を示した。これにはロッテの山本監督も「こっちは何もやっていない。じゃあ現行犯で逮捕してみてくれよ」と反論。「いいかげんにしてくれ。うっとうしくて仕方がない。オレをイラつかせる卑劣なやり方だ」なんつって怒りのウォーレンは、雨天中止で1日置いた29日の同カード試合前、驚愕の行動に出る。

 ニヤつきながら、やすりやカミソリなどの刃物を飾り付けたグラブを持参し、カメラマンに撮影させたのである。シュートマッチか、因縁を盛り上げるためのアングルか……。もはや一触即発の危険な試合は、5対4でロッテが1点リードした9回表に、抑えのウォーレンが登板する。山崎球審が頻繁にボールをチェックし、何度も交換する異様な状況の中、先頭の大友進は三振、続く小関竜也(娘は元カントリー・ガールズの小関舞)の一塁線沿いの打球(結果はファウル)を捕りにいった背番号43は、一塁に走り出していた小関と交錯。これも偶然か故意か微妙なところで、両軍ベンチから選手がグラウンドに入り乱れ、あわや大乱闘の険悪な雰囲気に。その小関が左飛に倒れた二死後、貝塚政秀を空振り三振に打ち取ったウォーレンは暴走。なんと三塁側の西武ベンチに向かって中指を突き立て挑発後、チームメートたちと派手にハイタッチを交わした。

週ベの取材で潔白を主張


日本では3年で通算49セーブをマークした


 このシーンは珍プレー好プレー番組でも繰り返し放送され、1メートル85センチの巨体に長髪とヒゲ面という、まるで“スタイナー・ブラザーズ”のような風貌も手伝い、球界のヒール(悪役)ピッチャーとして知られるようになる。後日、自チームの選手会長に付き添われ西武側に謝罪したが、いったいウォーレンは何を考えていたのか? 『週刊ベースボール』2000年7月24日号に、騒動渦中の7月9日に収録したウォーレン本人の貴重な緊急インタビューが掲載されている。「不正はしていない」という緊張感あふれる見出しに加え、「本当にやっていないわけですね」なんてド直球の質問に対し、ひたすら「ビデオを見てもらえば分かると思うけど、私は何もしていないよ」と自身の潔白を主張する。

「不正をしていないことは明らかなのに、こういう話がまた出てくるなんて、いつまでやっているんだ、という感じがする。正直言って、私としてはうんざりしているところだよ。もうこの話題は終わりにしてくれ、と思うね」

「(試合中に1球1球審判がボールチェックすることにイライラしないか?)いや、しないよ。それよりも、審判の人も大変だなあ……と思うよ。それに、1球ずつチェックされたのは6月30日の西武戦だけで、その後は1球ずつというわけではないので、別になんとも思っていないよ」
 
「(なぜ中指ポースを?)あのときは、向こうのほうから『不正投球ではないか』という抗議が先にあって、そう疑われてしまっては、絶対にここで抑えてやろう、と感情が高ぶった。最後のバッター(貝塚)は三振だったんだけど、そのときに感情があらわになって、つい三塁側に向かってポーズを取ってしまったんだ。自分はなんでも積極的に挑戦していくタイプだし、疑惑をかけられていたということもあって、つい」

 いや、「つい」って……とか、「なんでも積極的に挑戦していくタイプだし」のエクスキューズがちょっと意味分からないという突っ込みどころは多々あるものの、息子の教育にも良くないし、日本の野球ファンの皆さんにも深く謝りたいと、不正投球は否定しつつ、中指ポーズを謝罪するウォーレン。……なんだけど、それからもいざ西武戦となると、興奮状態に陥り、挑発行為スレスレの派手なガッツポーズや雄叫びをあげる背番号43の姿があった。結局、ボールを傷つけた決定的な証拠は見つからなかったが、騒動も影響したのか、7月以降に大きく調子を崩し、3勝2敗16セーブ、防御率4.35の成績でこの年限りで自由契約となった。

 ロッテ在籍はわずか3年、NPB通算109試合で49セーブという成績が残っている。お騒がせ助っ人のイメージばかりが強いが、パ・リーグの外国人選手で最優秀救援投手を受賞したのは、99年のウォーレンが初めての快挙だった。

文=プロ野球死亡遊戯(中溝康隆) 写真=BBM
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