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パ・リーグ6球団 21世紀最強のリリーフは?

 

千葉ロッテマリーンズ



 2000年に中継ぎに転向し、21世紀となった翌01年からクローザーを務めたのが小林雅英だ。05年には29セーブを挙げ、最多セーブのタイトルを獲得して日本一に貢献。薮田安彦藤田宗一とともに勝利の方程式“YFK”を形成した。9回のマウンドに君臨し続け“幕張の防波堤”の異名を取り、01〜07年まで7年連続20セーブ以上をマーク。登板数も08年にインディアンスに移籍するまで、すべてのシーズンで45試合以上に登板と、右腕を振り続け、絶対的な存在としてチームを支えた。

埼玉西武ライオンズ



“絶対的”という枕詞がついた唯一の守護神は豊田清だった。21世紀に入った2001年、シーズン開幕直後にクローザーへ転向。森慎二の不調のためだったが東尾修監督が豊田を選んだのは「誰よりも1球への思いが強い」という理由からだった。同年、28セーブをマークすると圧巻だったのは翌02年だ。57試合に登板し、6勝1敗38セーブ、防御率0.78。1年を通じて失点はわずかに5の安定感で4年ぶりの優勝に大きく貢献した。正確無比なコントロールと抜群のキレを誇るフォークが武器。03年も38セーブ、防御率1.24で2年連続セーブ王に輝いた。

福岡ソフトバンクホークス



 ダイエー・ソフトバンクはリリーフ陣が充実。長身を生かして活躍したペドラザ、ファルケンボーグら助っ人外国人に、日本人最速150セーブの馬原孝浩、左のワンポイント・森福允彦は2011年の“森福の11球”で有名だ。1年目からフル回転でチームに貢献した投手も多い。三瀬幸司は55試合に登板し最優秀救援のタイトルとともに新人王にも輝いた。三瀬の系譜を継いだのが攝津正で、パ・リーグの新人最多登板記録(当時)を大きく更新する70試合に登板し、最優秀中継ぎ投手&新人王。昨季ルーキーながら65試合に登板した甲斐野央も新人王こそチームメートの高橋礼に譲ったが、引けを取らない活躍ぶりだった。それでも“最強”と呼ぶならば、数々のタイトルを獲得し、14年から4年連続60試合以上登板&35セーブ以上、17年には前人未到の54セーブを挙げた「THE KING OF CLOSER」D.サファテのほかにいない。これほどのインパクトを残すリリーバーは、これからもなかなか出てこないだろう。

北海道日本ハムファイターズ



 もはや「生けるレジェンド」と言ってもいい。プロ13年目を迎えたファイターズが誇る鉄人サウスポー・宮西尚生。ここまでのプロキャリアで先発登板はゼロ。リリーフ一筋で生き抜いてきた。昨シーズンはプロ野球新記録となる300ホールドに加え、12年連続50試合登板も達成。球種はほぼストレートとスライダーだけだが、1球ごとに曲げる角度、スピードを変え、ストライクゾーンも左右だけでなく、上下も立体的に使いながらバッターを翻ろうし続けてきた。栗山英樹監督も絶大な信頼を寄せる代えがきかないリリーバー。もうすぐ幕を開ける2020年も背番号25がブルペンの要となる。

オリックス・バファローズ



 セットアッパーにクローザーと、平野佳寿がブルペンを支え続けた。2006年ドラフト希望枠での入団時は先発も10年に中継ぎに転向し、翌11年に72試合に登板するなどフル稼働。リーグ新記録となる43ホールド、49ホールドポイントを挙げて最優秀中継ぎのタイトルを獲得し、12年終盤からは抑えを務めて13年に31セーブ、翌14年は当時のリーグ記録となる40セーブを記録してチームの2位躍進の原動力に。16年には史上3人目となる通算100セーブ&100ホールドを達成し、17年にはWBC日本代表に選出。球界を代表する救援右腕となり、18年からは活躍の場をメジャーに移している。

東北楽天ゴールデンイーグルス



 昨季、38セーブを挙げて初めて最多セーブのタイトルを獲得した松井裕樹で間違いないだろう。ルーキーイヤーとなった2014年は先発として4勝8敗と試練を味わったが、翌年からクローザーに抜てきされると3年連続30セーブ以上と確固たる地位を築いた。想像を絶するプレッシャーを感じながらのマウンド。ときに制球を乱し、手痛い敗戦も味わったが、それも自らの血肉となった。そして今季、満を持して先発へ再転向する。まずは則本昂大に次ぐ2番手、いずれはエースの座を目指す。

写真=BBM
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