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プロ野球20世紀・不屈の物語

金田正一、寂しげな完全試合/プロ野球20世紀・不屈の物語【1957年】

 

歴史は勝者のものだという。それはプロ野球も同様かもしれない。ただ我々は、そこに敗者がいて、その敗者たちの姿もまた、雄々しかったことを知っている。

左腕では初の快挙も



 プロ野球で初めて完全試合を達成した藤本英雄については紹介した。2リーグ制となった1950年の快挙だったが、その5年後の55年に近鉄の武智文雄が達成してパ・リーグ初、プロ野球2人目に。翌56年に国鉄の宮地惟友が達成して、セ・リーグ2人目、プロ野球では3人目となる。ただ、この3投手は、いずれも右腕だ。左腕で初めて達成したのは、その翌57年、国鉄の金田正一だった。65年に巨人へ移籍して69年に引退するまで、プロ野球記録の通算400勝を残したことで知られる金田だが、この57年はプロ8年目、24歳となるシーズンだった。

 8月21日の中日戦ダブルヘッダー第2試合(中日)。中日の先発は杉下茂だった。フォークボールのパイオニアで、54年に中日を初優勝に導いた右腕。55年に金田と投げ合った試合で杉下がノーヒットノーランを達成したこともあり、金田にとっては雪辱となる快挙でもあった。ただ、他の追随を許さないほど自身のコンディションを維持することに徹底していた金田だったが、この試合を前に、まさに“鬼の霍乱”。「ワシは体調なんて関係ない。杉下さんと投げ合うのが一番、気合が入るんや」と言ってはいたものの、数日前から下痢に苦しめられ、漢方薬を服用して球場へ。さらには、名古屋への遠征を前に突き指をしていたという話もある。対する中日は絶好調で、4月から首位を快走して、この前日の20日からの3連戦でも2連勝。国鉄は、この2試合で中日から1点も奪えない完敗だった。

 1回表、杉下は3者連続三振と最高の立ち上がり。一方の金田は、通算4490奪三振もプロ野球記録で、のちに「三振を取らなかったら(味方が)エラーするがな(笑)。打たせないのが一番、手っ取り早いんや。打たせて取るなんて考えたこともない」と言い切った左腕らしくなく、1回裏は投ゴロ、左飛、右飛で三者凡退。杉下とは対照的に、立ち上がりに苦しんだことが分かる。それでも、プロ野球を代表する右腕と左腕の投げ合いは息づまる投手戦となっていく。金田は3回裏、この試合で初めて三振を奪うと、そのまま2者連続で三振に。一方の杉下は3回表二死から連続四球、4回表にも二死から二塁打を浴びたが、後続を打ち取って無失点を続けた。

 そのまま両チーム無得点のまま8回を終了。そして9回表、国鉄は一死から四番の箱田淳が左前打で出塁すると、続く佐々木重徳が中前打、この日すでに2安打の鵜飼勝美も中前打を放って、ようやく1点を挙げた。だが、金田の完全試合も見えてきた9回裏、先頭で代打の酒井敏明が1ボール2ストライクからの4球目をハーフスイング。三振の判定に中日の天知俊一監督が抗議したことで、試合が狂い始める。

怒りをエネルギーに変えて


最後の打者を三振に斬って取り完全試合を達成した金田


 金田は、しばらくマウンドにしゃがみ込んで、静かに様子を見ていた。これに興奮したのはファンだ。50人ほどがグラウンドになだれこみ、球審は殴られ、警察も出動する大騒動に。試合の中断は、さらに長引いていった。「不名誉な放棄試合だけはしたくありません。ファンの皆さん、どうかスタンドにお戻りください」と天知監督がスピーカーで呼びかけたことで、ようやく騒動は沈静化。判定はくつがえらず、43分の中断を経て、金田はマウンドへと戻っていった。

 金田にとって名古屋は故郷でもある。同郷のファンによる暴挙に、中断の間、金田は「そんなにワシのことが嫌いか。そんなにワシの記録にケチをつけたいんかい!」と怒りに震えていた。ただ、それを金田は自身のエネルギーに変える。残る打者は2人。そこから金田は、ストレートしか投げていない。それも6球のみ。代打の牧野茂を3球三振、さらに杉下の代打に立った太田文高も3球三振に斬って取って、完全試合を達成した。

 94年に巨人の槙原寛己が完全試合を達成して喜びを爆発させたシーンをリアルタイムで見た人も多いだろう。金田も同じ快挙だが、ナインに祝福されて笑顔を浮かべたものの、どこか寂しげだった。

「どうせなら、あんなことにならずに達成したかった。気持ちよくな……」

 と、金田は振り返った。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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