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週べ60周年記念

異彩の新人王・関本四十四/週べ回顧

 

 一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

尊敬するのは自分?


関本は同年4年目の新人王に


 今回は『1971年9月13日号』。定価は90円。

 同じ号からまた。
 
 セ・リーグの新人王当確と言われているのが、糸魚川商工高から入団4年目、巨人関本四十四だ。太いまゆげとギョロとした大きな目が特徴の右腕だが、初の一軍入りを果たした、この年、2ケタ勝利にも迫っていた。
 球速はさほどではないが、シュート気味の真っすぐと強心臓が武器。
 打撃投手を務めている際、打者のバットを折りまくって川上哲治監督に認められた男だった。

 関本がマスコミの中で話題になったのは前年70年春、巨人の選手に新聞社が行ったアンケートだった。
「尊敬する野球選手は」
 という質問には、忖度もあってか川上哲治監督の名前がほとんど。ほかには長嶋茂雄王貞治らが並ぶ中、関本は、
「一人もいない。いるとすれば僕自身だ」
 だった。
 さらに「今年の目標は」という質問には、
「石の上にも三年。僕は多摩川で三年、さてさてどうなるか」
 と書いてあったという。
 ただ、この原稿、筆者は近藤唯之さん。ふくらましているかもしれない。

 大沢啓二新監督の下、首位阪急に肉薄したロッテだが、ジワジワ引き離されていた。
 理由の1つが過密日程。球宴後の32日で31試合というのだからすごい。
「今さら文句をつけてもしょうがないけどな。調子に乗り、押せ押せのときはいいけど、下り坂だけに毎日雨ごいしたぜ」
 という。ただ、そうは言っても大きな連敗はせず、必死に食らいついていた。

 すでに移籍期限は終わったはずだが、大沢監督が熱心に獲得に動いていたというのが、南海で、ほぼブルペン捕手をしていた里見進だった。
 前年オフにトレード会議、いわゆる現役ドラフトで移籍した選手だが、里見がリストアップされたことに、ロッテの現場は大ブーイングだった(濃人渉監督以外)。選手としての力はともかく、ブルペン捕手としてロッテの投手の情報を知り尽くしていたからだ。

 大沢は南海時代の後輩でもある野村克也兼任監督に「返してくれんか」と言ったが、野村はもちろん「いくら大沢さんの頼みでも無理」だった。
 あげく「1億円のトレードマネーか木樽(正明)なら考えますよ」と言われ、「ふざけるな」で終わったという。

 当時のパは情報野球が全盛で、相手のクセを徹底的に研究し、サイン盗みも普通にやっていたと言われる。
 その立役者の一人が阪急に復帰したスペンサー。この年は近鉄の左腕・鈴木啓示をカモにし、6本塁打中4本塁打を鈴木から放っていた。「握りがばれているのか」という鈴木に対し、スペンサーは「前はボールの握り方と振りかぶったフォームである程度分かったが、いまは分からなくなった」とは話していた。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM
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