一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 夜の市長がノーヒットノーラン
今回は『1971年9月13日号』。定価は90円。
同じ号からもう1回。
この“おかわり”パターンが多くなってきたが、今後も1970年代、80年代は手厚くいきたい。
1967年、中大から東映に二次ドラフト1位で入団した高橋善正。
シュートを武器にしたサイドハンドで1年目から15勝を挙げ、新人王に輝いたが、3年目、ランニング中に腰を痛めてからがパッとせず、4年目の70年に2勝に終わった後、一度は引退を決意したという。
それでも「やれるところまでやってみよう。それでダメなら仕方がない」と覚悟を決めて挑んだのが、71年だった。
しかし、この年もなかなか勝ち星がつかめず、3勝6敗で迎えた8月2日の西鉄戦(後楽園)で奇跡が起こる。
なんと完全試合。試合終了とともに高橋は仲間たちに胴上げされた。
「自分の武器だったシュート、シンカーがうまく投げられず、カーブやスライダーでごまかしながら投げていたが、逆に相手がシュート系を意識してくれ、戸惑ったのかもしれないですね」
と話していた。
8月19日にも大記録があった。
前年まで1勝もできなかった
広島・
藤本和宏が
中日戦(広島)でノーヒットノーランを達成。
この男のプロ入り後の経歴は、まさに波瀾万丈。
66年、八幡製鉄光から西鉄に入団も芽が出ず、左足アキレス腱痛、ヒザ痛などもあり、69年限りで自由契約。
実は夜遊びが過ぎてクビになった、とも言われた。ニックネームは“夜の市長”(なぜ市長かは書いていない)。「あのころはよく遊びましたね」と藤本。クビを宣告された当初は「バーテンをする」と言っていたらしい。
やや太めもあり、広島でテストを受けたときは「あいつ場所を間違えたのと違うか。相撲部屋に行ったらいいのに」と言われたという。それでも左腕もあって「ダメなら打撃投手で」と入団が決まった。
「一度死んだつもりで再出発したからこんな大変な記録ができたんですかねえ」
と藤本は感激しきりだった。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM