一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 江夏豊の奪三振記録
1972か73年の巨人ベンチ。左端が柳田
今回は『1971年9月20日号』。定価は90円。
巨人・
川上哲治監督が探し求めてきた五番打者が育ってきた。
西鉄に1967年に入団。69年に移籍してきた
柳田俊郎だ。
ただ、前年の70年は、わずか19試合出場で、打率は.120。
「去年の暮れは一軍に上げてもらえないし、てっきりクビだと思っていたら、残してもらったので。ことしは死んだ気になってやろうと思ってました」
愛称はマムシ。タレントの毒蝮三太夫そっくりの迫力ある顔がその由来だ。
とにかく野球にひたむき。ヒットを打った日にはバットを枕元に置き、6月末に
阪神・
江夏豊からホームランを打った後には「やった、やった、入ったぞ」と寝言を言っていたという。
8月末から五番に座り、9月1日時点では規定打席には足りていないが、打率.333。
川上監督は、
「あいつも、あの顔で投手を震え上がらせるところまで来たようだな」
とご機嫌。ただ、同年最終的には打率.284。完全に川上監督の期待に応えたわけではない。
その夢に出てきた(?)江夏は三振ラッシュ。8月19日から16三振、10三振、11三振、11三振と4試合連続10三振以上だからすさまじい。4試合連続は当時の日本記録でもあった。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM