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週べ60周年記念

巨人の鬼寮長・武宮敏明/週べ回顧

 

 一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

やるなら俺の目にとまらんように


貫録たっぷりの武宮寮長



 今回は『1971年9月20日号』。定価は90円。

 まず、写真を見てほしい。竹刀を持ってドンと座る。
 巨人の寮長・武宮敏明だ。当時49歳。
 熊本工では川上哲治監督の後輩。現役時代は捕手としてプレーした。当時だから軍隊経験もあり、初年兵の教育係もしていた。怖いし、体罰もありの鬼軍曹だったが、その目は優しい。
 1971年当時、寮長、スカウト、二軍コーチの三役だったが、武宮と言えば、寮長のイメージが強いと当時の記事でもある。
 当時の記事を抜粋してみよう。
 タイトルは『鬼寮長の素顔拝見』である。
 
 朝9時、「起床!」の一声がマイクに乗って各部屋に響き渡る。
 武宮寮長の一声で独身若手選手の1日が始まる。
 この厳しき館の門をくぐらなかったのは、長嶋(茂雄)、土井(正三)、城之内(邦雄)の3人のみ。あとは誰一人として武宮氏の愛の鉄拳を受けなかったものはいない。
 その経歴もすでに16年の長さにわたっている。なかでも一番手を焼いたのは堀内(恒夫)だ。
「それだけに一本立ちして活躍している姿を見るとうれしくて」
 と声を詰まらせる。これぞまさに鬼の目にも涙というやつか。

 名物となった竹刀も堀内のために仕入れたものだという。この堀内用竹刀のおかげで何十人といった寮生がこぶの被害を受け、痛くてヘルメットをかぶれなかったことなどは、現在一軍でスターになった選手たちにとっては、今は懐かしい思い出話になっている。
 面白いことに手を焼かせた道楽息子ほど上手になっている。「個性の強い連中をいいほうに伸ばしていくのも仕事」ということでは結実しているようだ。

 巨人はよく「規律が厳しすぎ、型にはめようとするから若手が育たない」という風評があるが、武宮寮長は猛反撃する。
「私だってユニフォームを着た人間。選手の気持ちは嫌と言うほど分かる。だからミソもクソも分からず、強引に型にはまることなどもってのほかだ。知らない連中ほどくだらんことを言いたがるんじゃ。
 私だって飲んでおまわりさんのやっかいになったこともある人間。若い連中の気持ちは痛いほど分かるんだよ」
 確かにむやみやたらに叱り飛ばしているわけではない。自分で違反現場を見つけたこと以外は決して尋問しないという。家族も近くに住んでおり、寮から風呂の鉄柵を外してエスケープした選手の話を聞いても無視した。
「よく言うんですよ。やるなら俺の目にとまらんようにやれと」
 とニヤリ。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM
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