一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 大スランプに苦しんだ王
劇的だった逆転弾
今回は『1971年10月4日号』。定価は90円。
7連覇に向け、独走状態にあった
巨人。しかし8月末から自身の足踏みに加え、悪天候、さらには9月19日までの2位・
中日7連勝の快進撃もありマジックがなかなか減らない。
川上哲治監督も「中日が少し負けてくれんかな」と愚痴を言っていた。
この年、巨人の最終的には勝率は.574。球宴前、2位に11.5ゲーム差をつけた貯金があっての独走で、8月21日からの11試合は2勝9敗。一部からは「史上最低の優勝」とも言われた。
低迷の原因は1つではないが、大きかったのが
王貞治の不振だった。
川上監督は、
「考えてみたら王のバットの歯車が一つ狂っただけで、うちは全部の歯車が狂ってしまったんですからね。これは情けないことです」
と話している。
川上監督は王が長いスランプにあったとき「同じところを堂々めぐりするより、しばらく二本足にしたらどうだ」とアドバイスしたが、王は、
「一本足で落ちたスランプですから、一本足で立ち直ってみたいのです」
と断ったという。
もともと川上監督は「一本足には限界がある」と言っていた。実は、教えた恩師・
荒川博でさえ、「いずれは二本足に戻させるつもりだった」と言い、巨人のコーチ時代も何度となく言っていたらしいが、王はガンとしてクビをタテに振らなかった。
逆に言えば、王の一本足打法は、すでに荒川伝授を超え、王自身の血と肉になっていたということだろう。
スランプを抜け出したのは、劇的なホームランからだった。
9月15日、甲子園での
阪神戦。前日4打数ノーヒットの王は、この日も阪神先発・
江夏豊の前に3三振ノーヒット。8回には阪神に2点を奪われ、完封負け目前の9回だった。
王は江夏の渾身の真っすぐをとらえ、劇的な逆転3ラン。試合もそのまま3対2で勝利した。満面の笑顔で塁を回った王だったが、その大きな目は確かにうるんでいた。
試合後、
「こんな気持ちになったのは初めてだ。プロ入り初ホームランよりうれしい」
かみ締めるように語っていた。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM