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プロ野球20世紀・不屈の物語

「ロッテより弱い」巨人、逆襲の起爆剤となった「無責任な男」/プロ野球20世紀・不屈の物語【1989年】

 

歴史は勝者のものだという。それはプロ野球も同様かもしれない。ただ我々は、そこに敗者がいて、その敗者たちの姿もまた、雄々しかったことを知っている。

予定どおりの第4戦



 口は災いの元という。なにも罵詈雑言に限ったことではない。同じ言葉でも、発信する人と受け取る人の意図が異なる場合があり、あるいは悪意をもって操作されて、ひとり歩きを始めた言葉が災いをもたらしていくのだ。プロ野球も例外ではない。その歴史に舌禍トラブルは少なくなく、中には明らかに悪意のある発言もあったが、ひとつの発言が日本一の行方をも左右したとされるのが、1989年の日本シリーズで近鉄の加藤哲郎が放ったものだろう。

 3度目のリーグ優勝を果たした近鉄は、日本シリーズで巨人に無傷の3連勝。その第3戦(東京ドーム)で勝利投手となった加藤が、試合を終えて「巨人はロッテより弱い」と発言したとされるものだ。ロッテは、近鉄にとって前年の最終戦ダブルヘッダー“10.19”で優勝を阻んだ相手でもあり、2年連続でパ・リーグ最下位。実際には、そこまで挑発的なことは加藤も言っていないのだが、ビッグマウスがキャラクターでもある加藤、発言が端的に脚色され、ものすごく短い「ロッテより弱い」となってしまった。

 これに巨人ナインが奮起して、怒りの4連勝で逆転の日本一。これが、この89年の日本シリーズの、いわば定説だ。もちろん、ここにも言葉が持つ負の特性が発揮されている。ひとつの発言で風向きが一変するほど頂上決戦は簡単なものではない。ただ、シリーズの分岐点となったのは、その翌日の第4戦(東京ドーム)だったことは確かだ。

 巨人の先発は香田勲男。投げ終えた後にマウンドで飛び跳ねる躍動感あふれる投球ながら、100キロにも満たないスローカーブを武器にした右腕だ。この89年の巨人は、復帰した藤田元司監督が先発完投を重視する方針を掲げたことで、槙原寛己斎藤雅樹桑田真澄の“先発三本柱”が確立され、香田はペナントレースでは谷間の先発やロングリリーフを中心に7勝。もともと第4戦の先発は予定されていたが、第1戦から3連敗という結果を受け、「(読売新聞の名誉会長だった)務台光雄さんが監督の部屋に来られて、誰で行くんだ、と聞いたらしい。藤田さんが、香田で行きます、と言ったら、大丈夫か、となって、投手コーチの中村稔さんまで呼ばれたということで(笑)。スポーツニュースでも解説者が、ここは(シーズン20勝で最多勝の)斎藤で行くべきでしょう、とか言っている。俺でいいのかなって」(香田)。

 一部では「もう巨人はあきらめたのか」とさえ言われた。ある意味、加藤の発言よりも酷い。香田はプレッシャーに潰されても無理のない状況に追い込まれた。だが……。

むしろ緊張したのは


1989年、日本シリーズでのピッチング


「緊張はなかったですね。(前夜)絶対に勝たなきゃとか、やらなきゃとか思って寝た記憶もない。自然でした。だって自分よりいいピッチャー、斎藤さん、桑田、宮本(和知)さんと負けているわけですし、そんなときに投げさすほうが悪いんだって(笑)。(マウンドでも)単に一生懸命、投げていただけです。何を背負ってというのはなかったですね。無責任な男がマウンドに上がっていただけです(笑)」と香田。こうしたメンタルに加え、緩急を駆使する香田の投球が、もともと振り回すタイプで、一気にトドメを刺そうとしていた近鉄の打線に対して有効に働く。ブライアント、リベラの三、四番を無安打、全体でも散発3安打。三塁も踏ませない完封で巨人にとって起死回生の1勝をもたらした。

 香田は3勝3敗で迎えた第7戦(藤井寺)にも先発のマウンドを託されるが、「今度は勝てば日本一ですよね。このときは緊張しました。ほんとに投げなきゃいけないのか、って。俺の仕事は終わったと思ってましたから。ここまで来たら勝ちたい、勝たなきゃ、という気持ちも出ますし、前の晩は緊張して眠れなかった」(香田)という。そんな香田を打線も援護した。香田は6回裏の途中まで投げて3失点。だが、巨人は早々に先発した加藤をKO、6回表までに7点を奪っていた。続く7回表にも1点を追加。近鉄も9回裏に2点を返したが、届かず。こうして巨人の逆転劇が完成した。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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