「集中力に欠けているように見えた」
28年前の7月5日、神宮球場であるシーンを4万8000人の観衆が目撃した。ヤクルト対
巨人戦。4対4の同点で迎えた9回裏一死満塁のサヨナラの好機。ヤクルトの
野村克也監督が打席に向かう
荒井幸雄を一塁ベンチ前に呼び寄せ、頭をポカリ! とやったのだ。
後で「集中力に欠けているように見えたんや。ついカッとなってしまってな」と野村監督は反省の色を見せたが、公然の場での“ポカリ事件”は反響を呼んだ。生徒を叱る怖い先生――。ID野球を仕切る指揮官が怒りを露わにした――。だから「監督の暴走」と見る周囲の声まであった。
だが、これは大きな誤解。勝負に集中するあまり感情的になってしまったに過ぎない。野村監督はこう見えても、選手思いの一面を持っていた。
荒井の頭をポカリとたたいた野村監督(左)
同年4月26日のことだった。試合終了後の神宮球場クラブハウスで異変が起きた。まだ腰にバスタオルを巻いた選手、帰り支度を始めていた選手がザワザワ……。何と野村監督が突然入ってきた。
野村監督の選手ロッカーへの侵入は、監督就任3年目で初の出来事だったのだ。だから選手は珍しがること珍しがること。「おい、何しに来たんだ?」「誰に用事なんだよ?」と耳打ちし合う。なにしろ、こうしたことはいままでになかったから、選手もどうしていいのか分からない。
不穏な空気にお構いなしの野村監督は、目的の人物のもとへツカツカと歩み寄る。そして、こんな言葉をかけた。
「今日は惜しかったな。今度は絶対に打線が援護するからな。本当にご苦労さんだった」
右腕に氷水に浸しながら振り向いたのは
伊東昭光だった。この日の試合で8回二死まであわやノーヒットノーランの好投を演じた。だが打線の援護がなく、勝利投手になることもできなかった。
それだけなら、野村監督も労いの言葉をかけることもなかった。伊東は90年の春「右肩腱板損傷」のアクシデントに見舞われている。丸2年間のブランクから92年復活をかけて一軍へ。その復帰初先発がこの試合だった。感動的な伊東のピッチングに、ジッとしていられなかったのだ。
球団代表へ電話
さかのぼれば選手の契約更改がスタートした前年12月にも、同じようなことがあった。
秦真司が年俸をめぐってもめていた。91年、117試合に出場し、打率.292、16本塁打、47打点をマークしながらも球団の査定は厳しかった。2000万円からわずか600万円のアップ提示。4000万円を信じていた秦は越年を覚悟したほどだった。
しかし結局、越年はしなかった。球団が3500万円を提示してきたため秦もサイン。この球団の譲歩は、すべて野村監督の進言があったからだ。
「秦はAクラス入りに十分貢献していますよ。最初の提示はひどすぎる。何とかしてやってくださいよ。来年もっと気持ちよくプレーさせてやってください」
電話の受話器越しに、田口周代表に訴える声は真剣だった。
野球には「勝負を選ぶか、情を選ぶか」という場面がある。あと1人抑えると勝利投手の権利をつかめるケース、記録達成がかかっているから続投、などがそれだ。野村監督は「どうしても情を選んでしまうときがあるんや。ワシは監督に向いてないんやろな」と本音を隠さなかったが、それも名将の一面だった。
写真=BBM