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特殊技能を持ったプロフェッショナル

野村克也監督も攻略に闘志を燃やした水切り名人のサブマリン/特殊技能を持ったプロフェッショナル

 

プロ野球では勝ち負けがすべて。攻守走に卓越した選手の最高のプレーを楽しめるのが醍醐味だが、試合に貢献しているのは表層的な技だけではない。激しくしのぎを削っていた決して脚光を浴びることのない特殊技能を持ったプロフェッショナルたちを紹介しよう。

アメリカでも強烈なインパクト



 メジャー・リーグ(MLB)に挑戦し、現地で「びっくりするような能力の持ち主」と紹介された投手がいる。サブマリン投法でロッテ時代に通算87勝をマークした渡辺俊介は、国際的なギネス登録もされている“水切り”の名手でもあった。

 ロッテのエース時代、渡辺は独特の投法に注目したテレビの企画で水切りに参加した。グイッと腰を沈めるいつものフォームで石を投げると、石は水面を滑るように跳ね上がりながら27回バウンド。当時の日本記録(※番組調査)を塗り替えた。

 37歳で迎えた2014年春、渡辺はレッドソックスとマイナー契約を締結。エンターテインメントを好む米国メディアは、日本でのグラウンドの実績以上にこの番外エピソードを面白がった。フロリダのフォートマイヤーズで行われたスプリングキャンプでは、「地面から5センチ」と称されたユニークなアンダースローを見たレポーターやカメラマンが興味津々。地元ラジオは「日本から来たニンジャ」とはやし立て、「ストーンスキッピング(水切りの英語名)のレコードホルダー」と形容した。残念ながらメジャーのマウンドに上がることはできなかったが、本場のファンに強烈なインパクトを与えた。

 真っすぐは最速130キロ前後そこそこだったが、渡辺に打者は手を焼いた。地面スレスレから放たれたボールは、まるで手元で浮き上がってくるかのような軌道で向かってくる。直球だけではなく、同じ腕の振りから、キレのあるカーブ、スライダー、シンカーもある。各球団は渡辺攻略に躍起となったが、有効的な手は打てなかった。

 野村克也監督が率いた楽天嶋基宏(現ヤクルト)は、厄介なサブマリン対策に並々ならぬ闘志を燃やした一人だった。特殊な投法だけに、マシンや打撃投手による練習は無理。ぶっつけ本番で臨むしかなかったが、打ち崩すことはなかなかできなかった。

 目線をいつもよりも低く置くように意識し、スイングもアッパーにならないよう徹底。確実にミートするためにボールを追いかけず、ポイントをしっかりと保つ――など、いろいろと工夫した。しかし、なかなか打ち崩すことはできない。「ボールと一緒に、どうしても体が浮き上がってしまう」。百戦錬磨の名将からのプレッシャーを背に、グラウンドの司令官に指名されていた嶋は頭を抱えた。

不遇の時代に培われた強烈な向上心


渡辺のピッチング


 渡辺は小、中学校と控え投手だった。「野球を続けたいのなら、人と変わったことをしろ」という父親のアドバイスで、アンダースローに転向。高校は名門の国学院栃木に進んだが、エースで四番の小関竜也(後に西武巨人などでプレー)ら有力選手がいて、やはり控えに甘んじた。

 温厚な人柄と謙虚さには定評があるが、裏腹な強烈な向上心はこの不遇の時代に培われた。「競争に勝つには、打者を抑えるにはどのようにすればいいのか」――。自身を見つめながら、試行錯誤してたどり着いたのが、「打者のタイミングを外す」だった。特異なフォームだけでは抑えられないと悟り、キレのある球の会得に腐心。野手のスナップスローを参考にしながら手首の使い方を勉強し、回転数を上げることで「浮き上がるボール」が現実のものになることが分かった。

 プロ3年目の03年に自身初となる規定投球回に到達し、9勝をマーク。翌04年に12勝、05年には「気持ち良くマウンドに立たせてくれる監督」と尊敬するボビー・バレンタインの下で15勝を挙げ、31年ぶりとなるロッテの日本一に導いた。06年にはソフトバンクの指揮官としてキリキリ舞いさせられた王貞治監督に実力を買われ、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に日本代表として出場し、世界一に貢献。球界を代表する投手として球史に名を刻んだ。

 現在、プロ入り前に所属した新日鉄津の後継チームである社会人野球の日本製鉄かずさマジックの監督を務める。サブマリンが「野球人生の最後の目標」として掲げているのが、都市対抗の優勝。さまざまなステージの経験を生かしながら、後身の指導にあたっている。

写真=BBM
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