一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 巨人7連覇、裏方座談会
今回は『1971年10月11日号』。定価は100円。
9月23日、マジック2としていた巨人は後楽園で
阪神を倒し、対象の
中日が
広島に敗れたことでリーグ7連覇が決まった。
巻頭では
長嶋茂雄の手記がある。その中で、
「ことしこそ、私の十四年のプロ生活の最大の山場であった。私の野球人生の中で、もっとも印象に残るシーズンになった」
とある。それもこれも前年の.269の打率があったからだ。いや、数字というより、不振や体調不良に苦しむ中で、
「俺も歳か」
と思ったことが、長嶋としてショックだったようだ。
そこで切り替えた。
「よし、いいじゃないか。これで踏ん切りがついた。名声とか地位とかキャリアとか実績。そんな過去のものは全部脱ぎ捨てよう。そして、もう一度、生まれ変わったつもりでやろう。
素っ裸の長嶋茂雄に戻るんだ。いや、ふんどし一本の姿になって出直すんだ」
決意してみて、その考え方が気に入ったという。
「ふんどし一本の長嶋茂雄か、なかなかいいじゃないか」
こう割り切れば、強い。最終的には打率.320で首位打者、34本塁打、86打点につながった。
ただ、打点に関していえば、長嶋はそれまですべて100打点超で3年連続打点王だったが、数字が低くなった。
長嶋の下のリーグ2位の打率が.285という打低と、三番・
王貞治の打率.276が影響している数字だろうか。
巨人のスコアラーら裏方さんたちの座談会もあった。
彼らが挙げた印象的な試合は、やはり9月15日、阪神─巨人戦(甲子園)。王貞治が
江夏豊から放った逆転3ランだった。
少し抜粋しよう。
大森光夫用具担当
ぼくはやはりこの間の王ちゃんのホームランが一番印象に残りましたね。江夏があそこまで投げていましたからね。打ったほうも打たれたほうも、江夏にしても、もうあそこまで自分がやったんだから、という気持ちがあったんじゃないですか。
峰国安バッティング投手
あの日はフリーバッティングではあまり当たっていなかったですね。
高橋正勝スコアラー
よくない、よくない。
淡河弘ブルペン捕手
あのときはボックスで打ちながら、きょうは根っこか先っぽばっかりだなと言っておったんです。芯に一つも当たらんって。
大森
ホームランを打ってかえってくるとき、青くなっていたからね。
淡河
あの瞬間はほんとうに感激のシーンだったもの。みんな、涙が出るようなシーンだった。
大森
ベンチに帰ってきた王ちゃんは何が何だか分からんと言ったもんね、自分で。ピッチャーが江夏で、しかもよかっただけにね。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM