一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 機動力野球への変換か
今回は『1971年10月18日号』。定価は90円。
阪急優勝で終わったパだが、最後まで盛り上げたのはロッテ。その原動力は、途中から一軍監督に昇格した
大沢啓二だった。
ただ、それはチームが強くなったからというわけではない。前年王者のチームは、
濃人渉前監督の時期もずっと2位をキープ。放棄試合からしばらくの低迷はあったが、それは大沢監督になってからもなかったわけではない。
初采配から3試合連続逆転勝ち。そこから9勝1敗で首位阪急との8ゲーム差を消してしまった就任直後の快進撃と、魅力的なべらんめえ口調があってこその印象だろう。
阪急・
西本幸雄監督は、ロッテについて聞かれ、
「あれは大沢がつくったチームじゃない」
と言い切っていた。挑発もあっただろうが、西本監督の考え方が分かる言葉でもある。
実際、
江藤慎一、アルトマン、ロペス、
有藤通世、
山崎裕之と5人が20本塁打(
池辺巌が19本)の強力打線。
木樽正明、成田文雄、
小山正明、
村田兆治の先発陣がそろい、阪急と比べても戦力的にはそん色がなかった。
ただ、三振かホームランかの豪快だが粗っぽい濃人野球は、南海でち密な野球を学んだ大沢監督にとって不本意でもあった。シーズン中から機動力野球に取り組み、自らが二軍監督時代に育てた若手を積極的に起用し、チームを変えようとした。
秋季練習でも「うちのチームは守備力、特に内野が劣っている」と厳しい練習を課していた。
オーナーの中村もまた、前任の永田雅一色の一掃を考え、大沢とも相談し、チームの一新を進めていた。
トレードでは江藤、
榎本喜八の放出が噂されていた。
さらに中村オーナーは昨年8人指名しながら3人しか入らなかったドラフトについても、
「今年は全員獲得するように」
と厳命していた。
ロッテの大改革については、いずれまた触れることになるだろう。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM