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1971年日本シリーズ第2章、山田久志がセットでなければ王貞治はホームランを打てなかった/週べ回顧

 

 一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

1、2戦目、先発は同じ


捕手のミットを見るとほぼ真ん中か



 今回は『1971年11月1日号』。定価は90円。

 巨人─阪急の日本シリーズ第2弾。
 西宮での1、2戦を終え、1勝1敗。勢いは、やや第2戦目を制した阪急にあるが、西本幸雄監督が自信を持って送り込んだ若きエースの山田久志、斬り込み隊長の福本豊が完全に機能したとは言えない。

 第3戦は日本シリーズ史上屈指の名勝負となった。
 10月15日、中1日で舞台は後楽園に変わったが、先発は第2戦と同じ。巨人が左打者の福本封じのため、1回だけ投げた関本四十四。阪急は7回4失点、105球を投げた山田だった。

 関本は予想どおり、山田は奇襲。西本監督は、王貞治柳田俊郎と本塁打を浴びたが、被安打は4の山田の浮かび上がる速球は、十分、巨人打線を苦しめたと判断した。

 期待に応え、山田は完ぺきな投球を続ける。2回一死から末次民夫に右越え三塁打を浴びるが、後続を抑え無失点。1、3、4、5、6、7回はパーフェクトピッチングだ。8回には代打の上田に内野安打を許すが、失点はなく、1回から8回まできれいにゼロを並べた。
 対して阪急打線は関本から2回に1点を奪うが追加点なく、阪急の1対0のまま9回裏、巨人最後の攻撃を迎えた。

 勝利を目前とし、山田は一死後、柴田勲をこの試合初めての四球で歩かせた。
 これが試合の流れを少しだけ変えた。つまりONの一角、長嶋茂雄に打順が回るのだ。
 柳田を右飛で二死の後、長嶋の当たりは山田の右足そばを抜ける。ショート・阪本敏三が定位置にいたら捕れたかもしれないが、長嶋の打球傾向を考え、やや三塁寄りにポジショニングをしていたため届かず、ヒットにし、一、三塁となった。

 次の打席は王。この試合、3打席凡退と抑え込まれていたが、1−1から山田が投じた内角の速球を王がすくい上げ、右翼席に逆転3ラン。珍しく小躍りするようにホームを踏んだ。
 対して、山田はマウンドにうずくまって動かなくなり、西本幸雄監督がうながすまで立ち上がることすらできなかった。
 試合後、山田は「とても僕にはまだ巨人打線を抑えきれないです」と消え入るような声で話したが、のちのインタビューでは「打たれてからしばらくのことをまったく記憶していない」と語った。
 王は山田に対し、「セットポジションになったときは並の投手になる」とも話していた。実際、第2戦のホームランも一塁に走者がいた。
 山田のフォームは大きく振りかぶり、当初はオーバースローのように体を大きく使ってから静かに沈みこみ、そこから荒々しく投げるものだった。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM
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