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特殊技能を持ったプロフェッショナル

王貞治が居合から学んだ打撃の極意。真剣を手にした練習で新境地へ/特殊技能を持ったプロフェッショナル

 

プロ野球では勝ち負けがすべて。攻守走に卓越した選手の最高のプレーを楽しめるのが醍醐味だが、試合に貢献しているのは表層的な技だけではない。激しくしのぎを削っていた決して脚光を浴びることのない特殊技能を持ったプロフェッショナルたちを紹介しよう。

荒川とマンツーマンで



 通算868本塁打の金字塔――。王貞治が日本プロ野球の誇る最高のプレーヤーであることについては、誰からも異論は出ないはずだ。その孤高の大打者が、バッティングを極めるために居合を取り入れたというエピソードは、熱心なオールドファンならば聞いたことがあるだろう。

 師匠・荒川博の“道場”で真剣を手にしたトレーニングに没頭し、誰も踏み入れることのなかった新境地に到達。抜刀の流れをくむ日本古来の武術は、後に世界のホームランキングの代名詞となる一本足打法を生むきっかけとなった。

 巨人に入団してから3年間、王はタイミングの取り方に苦しんだ。背番号1を背負った期待の星の類い希なる才能を見抜いていた川上哲治監督は、打撃コーチに就任した荒川にマンツーマンの指導を要請。試合後、荒川の自宅でバットを振る特訓が続いた。居合道に通じ、合気道の有段者でもあった荒川はある日、所有していた日本刀で天井からつるした短冊状の新聞紙を斬るよう指示。しかし、王はうまく切ることができなかった。

 ひらひらと風に舞う紙は、なまくらな扱いでは絶対に切れない。「静」から「動」へ――。重さが1キロ以上もある刀を両腕でバランス良く持ち、無駄な軌道を排しながら正確な角度で鋭く振り降ろさなければいけない。インパクトの瞬間には、手首を使った独特な力の込め方が必要。それらすべての条件をクリアした時、紙はスパッと真っ二つになった。荒川の見守る中、王は来る日も来る日も紙やわら束を切るユニークな練習法に挑戦。ついに、難なく紙を一刀両断することができるようになった。

 王は手足の豆が破けて血がにじむほど必死にバットも振り込んだ。加えて刀を振ることで、ヘッドを下げずにバットを振り抜く感覚を体にたたき込んだ。野球と真剣での特訓との関連性を「ともにタイミング」と振り返り、居合については「ここぞの場面で最大限の力を出せる集中力を身に付けることに役立った」と語った。真剣を用いることが万人向けの最適なアプローチかどうかについては賛否あるだろう。だが、一つ間違えば大ケガという緊張感が五感を研ぎ澄まし、潜在能力を呼び起こしたのは間違いない。

剣豪さながらのオーラ


荒川コーチ[右]の指導を受ける王


 武道のエッセンスを吸収した王のバットの振りは鋭くなり、打撃成績はみるみる上向きとなった。何よりも変わったのが、投手に与える威圧感だ。左足一本でどっしりと構えたフォームからはすさまじい気迫が発せられ、たじろぐ投手からホームランを量産した。迷わず一撃で相手投手を仕留めるのが大事なのは、武道もスポーツも変わらない。刻みつけたダメージは次への対戦の布石となり、他投手への心理的な優位にもつながる。

 投手王国だった広島の先発や抑えの柱として一時代を築いた大野豊は、若手時代に対戦した王の剣豪さながらのオーラに驚いたという。「一番怖い打者だった。打席に立ったとき、あのギョロッとした目でにらまれると、マウンド上で身がすくんだ」と回想。命のやり取りをせんばかりのすごみ。単なるスポーツの枠を超えていた。

 プロ野球では広岡達朗が率いた西武も居合に取り組んでいる。合気道や剣道など武術に精通する広岡は、秋山幸二石毛宏典伊東勤ら主軸打者に神髄を注ぎ込もうとした。広岡は後のロッテのゼネラルマネジャー(GM)時代にも、当時の監督でメジャー・リーグでの指導実績もあるボビー・バレンタインに選手に居合をさせてはどうかと進言している。米国式の合理性が信条のバレンタインは実行に至らなかったが、武道の持つ精神性については興味を示したと言われている。
 
 荒川は16年12月に逝去。生前「武道とは不動心の会得にある。鍛錬を重ねた王は、その道の達人だと思う」と語った。白球に懸ける王に“気”を注入した日本刀は、東京ドーム内にある野球殿堂博物館に荒川から寄贈され、今も同博物館内に展示されている。(敬称略)

写真=BBM
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