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トレード物語

トレード物語 「横浜を愛していた」楽天・藤田一也の電撃移籍

 


 トレードにより環境を変えることで光り輝いた選手は数多くいるが、楽天・藤田一也はその代表格だろう。

 今からさかのぼること8年前の2012年6月26日。大阪市内のチーム宿舎で藤田と「別れ」の握手を交わすDeNAの選手たちは号泣していた。その2日前の24日。藤田は球団幹部から楽天へのトレードを通告された。相手は同じ内野手の内村賢介。DeNAは前年の11年に31盗塁をマークした内村の俊足が機動力野球の大きな推進力になることを期待し、楽天は二塁、遊撃、三塁と内野ならどこでも守れる堅実な守備力に定評がある藤田を高く評価したことでトレードが成立した。

 藤田はドラフト前から横浜に入団することを熱望していた。念願がかなって入団すると選手たちにも一目置かれる卓越した守備能力で存在感を放った。守備の名手で知られるOBの仁志敏久が「日本一守備がうまい選手」と評価するほどだった。だが、打撃が課題とされ、在籍7年半の間でレギュラーをつかめなかった。シーズン途中にトレードとなった12年は二塁のレギュラーが石川雄洋で、遊撃は当時成長株だった梶谷隆幸が重用されていた。藤田は微妙な立場に置かれていた。

 チームのことを誰よりも思い、出場しなくても最善の準備を尽くす。野球に取り組む姿勢に選手たちの人望は厚かった。ある選手は「藤田さんほど周りを気遣える選手はいない。トレードと聞いたとき、涙が止まらなかった」と振り返る。横浜を愛していた藤田もシーズン途中の予期せぬ通告に、いろいろな感情が入り混じっただろう。

 だが、このトレードで藤田の運命が大きく変わった。当時の楽天の星野仙一監督から守備力を高く評価され、二塁のレギュラーに定着。13年にプロ9年目で初の規定打席に到達し、球団創設以来初の日本一に貢献した。絶妙なポジショニング、鮮やかなグラブさばき、安定した送球……安打性の打球をアウトにするプレーで再三チームを救い、当時の星野仙一から「(藤田の守備は)シーズンで10勝以上の価値があった」と賛辞の言葉を送られた。守備だけではない。課題とされた打撃もミート能力が高く空振りが少ないため、進塁打やヒットエンドランをきっちり決めるなど数字以上に貢献度は高かった。

 その後も主力としてチームを支え、パリーグを代表する二塁手に。ベストナイン2度、ゴールデン・グラブ賞を3度獲得した。相思相愛の横浜では思い描いた活躍ができなかったが、杜の都で藤田は必要とされていた。38歳のベテランになった現在もチームの精神的支柱として貴重な存在だ。

写真=BBM
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