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阪急・西本幸雄監督の退任報道/週べ回顧1971年編

 

 一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

大洋には青田ヘッドコーチ誕生


日本シリーズ第3戦で山田(中央)とともにベンチに戻る西本監督(右)。左の福本の優しい顔がいい



 今回は『1971年11月8日号』。定価は100円。

 日本シリーズが終わった後、阪急・西本幸雄監督は記者の「また来年に向かって再スタートですね」の質問に「いや、それより静かに静養したい」と仏頂面で答えた。
 もともと、この年の西本監督は「もし巨人を破って日本一になったら、それを花道に勇退するのではないか」と言われていた。しかし結果は巨人に4度目の挑戦で、またも敗れている。

 そして、日本シリーズ翌日、10月18日、ある新聞で「西本監督退団を決意」とデカデカ出た。このときは巨人優勝のほうが記事がでかかったが、翌19日は一面だ。
 他の新聞の阪急担当は「おっさん(西本監督)はもし負けたら辞任するんやないか」と話してはいたが、本人は何も言っていない。「あの新聞の記者だけ何かつかんでいるんやないか」と色めきだった。
 そしたら翌日、別の新聞を「西本辞任」で一面だ。
 その記者は、西本から「もう疲れた。辞めたい」という言葉を聞いたらしい。

 しかしその20日、西本監督は会見を開き、こう話した。
「いろいろ考えていることもあったが、オーナーにお会いして、来年もやるように言われました」
 と話した。さらに、
「今辞めたら卑怯みたいな気がする」
 とも言っている。弱いチームを自分も一緒になって汗を流し、鍛え上げていくのが、西本スタイル。若き福本豊山田久志加藤秀司の一本立ちもあって、現在の阪急に達成感があったのは間違いあるまい。

 19日、青田昇のヘッドコーチ就任が発表された大洋。ともに現役時代は大打者だった別当薫監督とは合わないのではと噂されたが、中部オーナーは、
「夫婦だって性格がちがうこともあるし、たまにはケンカする。性格が違うからやっていけませんでは、30人からいる重役会など開けますか。じゃじゃ馬と優男の紳士と、性格が異質なものが協力してこそ成果が上がるんだ。大いに意見を戦わせてほしい」
 と話していた。
 別当監督に関してはシーズン中から更迭のウワサが絶えなかったが、ぎりぎりながら3位に入ったことで続投となった。

 なお大洋には、ハワイのアイランダーズのクリート・ボイヤーの入団が内定した。日本の報道陣は日本に何度も来日したケン・ボイヤーの弟という認識しかなかったというが、前も書いたようにメジャー1396安打の一流選手である。あとでそれを知った記者はびっくりしていたという。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM
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