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プロ野球20世紀・不屈の物語

イチローの“背面キャッチ”からさかのぼる阪急の“ヘソ伝”/プロ野球20世紀・不屈の物語【1994〜2000&1937〜48年】

 

歴史は勝者のものだという。それはプロ野球も同様かもしれない。ただ我々は、そこに敗者がいて、その敗者たちの姿もまた、雄々しかったことを知っている。

イチロー、本西、山森、福本……



 守備のパフォーマンスにおいて、外野手は内野手に比べて分が悪いのかもしれない。ファンを沸かせることを強く意識した守備で鳴らした野手は、巨人長嶋茂雄を筆頭に、内野手が多い。パフォーマンスを優先してしまうと、エラーのリスクも高まっていく。内野手のエラーよりも、外野手のエラーのほうが走者を進めてしまう危険性もある。ちょっとしたパフォーマンスはおろか、ファンが思わず腰を上げるようなトリックプレーを試合で敢行するハードルは高い。

 一方、試合の合間などに、オリックスのイチローが背中に回したグラブで捕球する、いわゆる背面キャッチでファンを盛り上げたのは1990年代のこと。もともと守備のパフォーマンスに対する意識は高く、「正面で捕るのは大変なんですけど、ファンからはイージーに見える。それよりは、ちょっとバランスを崩してヒザ元で捕るようなプレーのほうが絶対うまく見えます」と言っていたこともあった。だが、そんなことを試合でやろうものなら、外野陣の“ボス”本西厚博が「小僧、試合で遊んでんじゃねぇ」とばかりにギロリ。本西はオリックスの前身、やはり鉄壁の外野陣を誇った阪急で鍛えられた男。阪急では70年代から中堅の福本豊がダイヤモンド・グラブ賞(現在のゴールデン・グラブ賞)の常連で、78年には外野はおろか、一塁を除く8ポジションを阪急の選手が占めたほどの堅守のチームでもあった。

 その福本に鍛えられ、後継者になったのが本西。そんな職人にとって、ファンを喜ばせようとしたこととはいえ、若きイチローのパフォーマンスが浅薄に見えたのは当然のことなのかもしれない。阪急には、81年にフェンスを駆け上がって本塁打になるはずの打球を好捕、86年に野球の本場でもあるアメリカの殿堂にも入った山森雅文もいた。難しい打球をさばくビッグプレーこそ最大のパフォーマンス、これが外野手の本分。そんな本西の声が聞こえてきそうだ。

 イチローの守備も次第に堅実さを優先するようになり、そのパフォーマンスはファンにとっては練習での楽しみに限られ、背面キャッチなどのトリックプレーを試合で見ることはできなかった。この姿勢は正しい。ただ、正し過ぎるが故に、思慮の浅い少年に戻って言えば、それを試合で見たかったようにも思う。だが、プロ野球の長い歴史で、試合でトリックプレーを敢行した外野手は誰ひとり……いや、いる。それも、草創期の阪急に。

恐怖の“股間キャッチ”(?)も


 イチローと同様、練習中の背面キャッチで沸かせていたのは山田伝だ。和歌山に生まれ、少年時代にアメリカへ移住、カリフォルニア州の日系人を中心としたチームの一員として来日したときに阪急からスカウトされ、1937年の秋に入団。用具も粗悪で、大空に弧を描く本塁打などなく、サーカスのような守備にファンが沸いていた時代だ。練習中には、背面キャッチどころか、股の間からグラブを出して捕ることもあったという(こ、こわい……)。

 そんなパフォーマンスを繰り返しているうちに思いついたのが、両手を合わせてヘソの前で捕球すること。山田は“バスケット・キャッチ”と呼んでいたが、この当時、こうした長いカタカナが人口に膾炙するのは難しかったのか、ファンには“ヘソ・キャッチ”として定着、山田も“ヘソ伝”と呼ばれるようになった。

 山田は試合でも“ヘソ・キャッチ”を敢行、これが阪急の名物になっていく。もちろん、本西のように山田をにらみつけた存在もいた。慶大のスターで、阪急が最初に契約して主将を任された背番号1の宮武三郎だ。ただ、本西のような“親心”的な雰囲気のものではなく、ヘソの前で捕っているようにごまかしているのではないかと疑い、球団の職員に外野で観察させた。答えは「間違いなくヘソで捕っています」。山田のトリックプレーを本物だと証明することになった。

 山田は戦局が悪化しても残留し、日本国籍を取得。盗塁王2度、阪急ひと筋を貫いて48年までプレーを続けた。投手としても8試合に登板し、左投げながら6試合で二塁を守ったこともある。

文=犬企画マンホール 写真=BBM

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