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トレード物語

トレード物語 中日でファーム暮らしが近鉄で覚醒したブライアント

 

中西コーチの指導で開花



 三振か本塁打か――かつて近鉄で豪快なアーチを連発した助っ人外国人がいた。ラルフ・ブライアント。1988年から95年の間、日本で活躍し、記録にも記憶にも残る選手として今も語り継がれている。そんなブライアントだが、来日当初から順風満帆だったわけではない。もし、「ある事件」が起きなければ一軍出場がないまま、近鉄でプレーすることもなく日本を去っていたかもしれない。その野球人生を紐解くと、不思議な縁で結ばれていることに気づかされる。

 ブライアントは大学時代、野球よりアメリカンフットボールに熱中していた。だが、誰よりも打球を遠く飛ばす能力をMLBは放っておかなかった。1980年のドラフトでドジャース、翌81年の一次ドラフトでツインズから指名を受けるたが入団を拒否。81年の2次ドラフトで1巡目指名を受け、ドジャースに入団した。しかし、メジャーに定着はできず、マイナー・リーグでプレーする期間が長かったため、88年5月にドジャースと友好球団だった中日に移籍。年俸780万円だった。

 当時のNPBの外国人選手の一軍登録は2枠。不動の守護神・郭源治とクリーンアップを担った強打者のゲーリー・レーシッチが好調だった。ブライアントは二軍でも日本の投手の変化球への対応に苦しんだ。当時27歳と若かったため球団内で将来性を評価する声も上がったが、空振りを繰り返す粗い打撃に「日本では通用しない」と指摘する意見も少なくなかった。

 だが、人生はどう転ぶかわからない。88年6月7日。打率.303、7本塁打と好調だった近鉄のリチャード・デービスが麻薬不法所持で逮捕され、解雇が決まった。主砲の穴をどう埋めるか。白羽の矢を立てたのがブライアントだった。仰木彬監督、中西太コーチがファームの試合を視察して長距離砲としての潜在能力を高く評価し、入団が決まった。

「チャンスだと思った。近鉄は毎年、優勝争いをしているようなチームだったので、そのチームの一員に加われると聞いたときにはうれしかったよ。もちろん中日へのリスペクトはあったけど、近鉄に行くことで自分が変われるんじゃないか、という気持ちのほうが強かった」

 活躍に懐疑的な見方が多かったが、中西コーチが熱心に指導した。

「中西さんは話好きで素晴らしい人だった。タイミングの取り方、内角攻めへの対応力などを教わった記憶があるね」

 途中入団した88年に74試合出場で打率.307、34本塁打、73打点をマーク。勝てば優勝が決まるダブルヘッダー2試合目のロッテ戦(川崎)で延長10回の4対4で時間切れの引き分けとなり、勝率で上回った西武に4連覇を許したが、ブライアントは打線に不可欠な存在となった。

奇跡の4打数連続本塁打


1989年10月12日、西武とのダブルヘッダー第1戦で渡辺久信から3打数連続となる勝ち越し本塁打を放ってガッツポーズ


 翌89年。前年の雪辱を誓った近鉄だが春先に出遅れて6月末時点で首位・オリックスに8.5ゲーム差つけられた。苦しい状況だったが夏場の快進撃で優勝争いは西武、オリックスとの三つ巴に。「最後の天王山」となった10月12日の西武とのダブルヘッダーでブライアントは伝説に残る活躍を見せた。1試合目。4点を負う4回に郭泰源から46号ソロを放つと、再び4点差に離された6回にも郭泰源から47号同点満塁弾。8回に緊急登板した渡辺久信はそれまで1本もアーチを打てていない天敵だったが、右翼スタンドに消える48号勝ち越しソロ本塁打を放ち、逆転勝利を飾った。2試合目も高山郁夫から勝ち越しの49号ソロ本塁打を放ち、4打数連続アーチを達成した。

「私にとって忘れられないゲームだよ。1989年10月12日、マジカル・デー(奇跡的な一日)だった。この世の最高の出来事がその日に集約されて起こった。感動したよ」

 西武に連勝した勢いでリーグ優勝を飾ると仰木監督の次に胴上げされたのはリーグMVPに輝いたブライアントだった。

 来日8年間で3度の本塁打王を獲得し、通算259本塁打をマーク。東京ドームで天井スピーカー直撃の打球を放ち、千葉マリンの電光掲示板を破壊する一撃を放つなど規格外の飛距離が話題になった。93年にはNPB歴代最多の204三振を喫するなどシーズン5度の最多三振はご愛嬌。豪快な打撃がファンを魅了した。

「三振はそこまで気にしていなかった。三振もフライアウト、ゴロアウトも同じ一つのアウトに変わりはない。仰木さんからも『空振りや三振を恐れるな。大丈夫だから、どんどん振り続けろ』とアドバイスをもらった。『君がホームランを打てばチームも勝てるんだから、そのためにベストを尽くしてくれ』とも言ってくれた。その言葉には非常に感謝しているよ」

 95年は打率.194、10本塁打で6月に故障で登録抹消され、同年限りで退団。寂しい幕引きとなったが、オフのファン感謝デーにサプライズ参加してファンを喜ばせた。

「あのトレードが自分にとっては原点であり、グレートなチームに所属できたことは非常に素晴らしいことだと思っているよ」

 義理人情に熱い性格も日本で愛された理由かもしれない。

写真=BBM
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