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トレード物語

トレード物語 オリックスの「顔」だった谷佳知が巨人に電撃移籍

 

懐疑的な見方も多かったが……



 2006年オフ。巨人は2つの電撃トレードを敢行して世間を驚かせた。11月6日に主力として長年活躍してきた仁志敏久を放出し、横浜(現DeNA)の小田嶋正邦+金銭のトレードを発表。そして翌7日。巨人・鴨志田貴司長田昌浩オリックス・谷佳知の交換トレードが両球団から発表された。

 鴨志田、長田は当時ともに22歳。若手の成長株だったが一軍での実績は乏しかった。一方、谷は攻守走3拍子そろったオリックスのスター選手。イチロー田口壮と最強の外野陣を形成し、00年に日本記録の52二塁打、02年に41盗塁で盗塁王に。03年には自己最多の打率.350、189安打で最多安打を獲得している。球界屈指の安打製造機と評されていただけに、不釣り合いなトレードに見えたが、意外にも巨人ファンからはこのトレードに懐疑的な見方も少なくなかった。

 谷は05年から腰痛など度重なる影響で成績を落としていた。06年は打率.267、6本塁打。自己最少の1盗塁に終わり、33歳という年齢で限界説がささやかれていた。巨人が03年から4年連続V逸していた背景もあり、「仁志を他球団に出して若手も放出している。ベテランの谷を獲得する必要があるのか」、「他球団からの寄せ集めでは常勝軍団を再建できない。今の巨人に谷は本当に必要な選手なのか」と批判的な意見も聞かれた。
 
 谷自身は当時、トレードに関してこのように語っている。

「生まれも育ちも関西で、もちろん関西が好きでした。オリックスにもいい思い出があり、大好きな球団でしたけど、そんなにショックはなかったですね。プロの世界にはトレードが付き物という考えは、プロ野球選手なら誰でも持っていることでしょう。『まさか自分が』なんていう驚きもなかったですよ。ジャイアンツのユニフォーム姿を、みんなが似合っていると言ってくれているのですごく気分がいい(笑)。伝統のあるチームのユニフォームを着ることができるのは、非常に幸せなことですよ」

 背番号は現役時代に原辰徳監督が着けていた「8」。「小さいころから巨人ファンで、原監督が四番を打っていました。原監督のような選手になりたいと、ずっとあこがれを抱いていましたし、実際、非常に尊敬できる方ですから。原監督の名を汚さないように、恥じないように一生懸命プレーしないといけません」と決意を新たにしたが、このトレードは巨人、谷にとって大成功だった。

 移籍1年目の07年に、「二番・左翼」で自己最多の141試合に出場し、チームトップの打率.318をマーク。得点圏打率.379で5年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献したが、敵将の阪神岡田彰布監督は「谷、小笠原(道大)が加わってチームが変わった」とうなった。さらに伊原春樹ヘッドコーチは「昨年V逸したのはケガ人が続出して、主力が長期離脱したのが要因の一つ。だから原監督は今年、“強い選手”を求めていましたよね。それを体現したのが谷と小笠原。彼らもシーズン中に故障をしましたが、『痛い』と言わない。そんな姿勢を周りが見て、影響を受けましたよね。練習もよくするし、体のケアにも非常に気を使う。ナインみんながいい方向に引っ張られました」と激賞。谷はその後も勝負強い打撃でチームを勝利へ導く一打を何度も放ち、41歳シーズンの13年まで巨人に在籍した。

「プレッシャーを全員が感じていた」


 14年から古巣・オリックスに復帰。15年限りで現役引退した。「野球の考え方とか、勝つために強い意志を持つこととか。さらに強い気持ちで野球をするという大切さを学びましたね。勝って当たり前という球団で、毎年一番じゃなきゃいけないというプレッシャーを全員が感じていました」と引退会見で巨人時代を振り返っている。

 オリックスで球界を代表する右打者としての地位を確立し、巨人では在籍7年間で5度のリーグ優勝、2度の日本一と黄金時代の不可欠なピースとしてチームに全身全霊を捧げた。通算1928安打と名球会入りにあと一歩届かなかったのは惜しまれるが、巨人へのトレード移籍がなければここまでの成績を残せなかったかもしれない。記録にも記憶にも残る濃厚な19年間のプロ野球人生だった。

写真=BBM
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