一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 何も話すことはない
今回は『1971年12月20日号』。定価は90円。
予想どおりだが、
江藤慎一、ロペスを放出した
ロッテが今度は榎本喜八のトレードを発表。行先は西鉄だった。
榎本はオリオンズが誇る安打製造機で17年間での通算安打は2276安打。ただし、70年は同じ一塁手に江藤がいたこともあってベンチを温める試合が増え、夏場からはファームに落ちていた。
スランプに陥るとベンチで座禅を組んだり、奇声をあげたりと、奇行も目立った天才だったが、ふだんは家族思いで夫人との関係をのろけたり、下ネタも嫌いじゃなかったらしい。
武田代表は、
「榎本君は、すべてをお任せします、と言ってくれた。難航を予想していたんだが、こんなにあっさり決まるとは思ってなかったよ」
と話していた。
一方、
「代表にすべてを任せますと言った以上、何も言うことはない」
今回の件について聞かれると、必ずそう言っていた榎本。11月27日には、自宅前にいた担当記者を笑顔で招き入れながら話が移籍になると表情が一変。
「ここは俺の家だ。出ていってくれ。何も話すことはない」
と言って追い出した。
交換相手は、黒い霧事件で処分を受けた
村上公康捕手。当初はかなりごねたようだが、29日に承諾し、正式にトレード成立となった。
会見で仏頂面だった村上だが、
稲尾和久監督の「村上をロッテにやるのは身を切られるよう」という言葉に、
「そこまで言われたら幸せです」
と少し表情をゆるめた。
なお、西鉄は阪急から
石井茂雄と
基満男の交換トレードも申し込まれていた。石井は70年に16勝を挙げたが、71年は7勝。西鉄は「基はうちの内野の要」と拒否していたが、阪急側は「ならば、ほかに投手を用意してもいい」と粘っていた。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM