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日本人メジャーの軌跡

パイオニアの野茂英雄。マイナー契約からメジャー・デビューへ/日本人メジャーの軌跡

 

今回はパイオニアの登場である。野茂英雄だ。ドジャースとマイナー契約で入団。メジャー昇格後、1995年5月2日、サンフランシスコのキャンドルスティック・パークで行われたジャイアンツ戦で先発しメジャー・デビューを果たした。

紆余曲折を経てメジャーへ


ドジャース・野茂英雄


 1995年は1月に阪神・淡路大震災、3月にはオウム真理教による地下鉄サリン事件、そして5月に野茂英雄のメジャー・デビューと、2カ月おきに大事件と大きな出来事があったのだな、と思い出す。

 野茂のメジャー・デビュー戦は火曜日のデーゲームで、観衆は1万6099人と少し寂しい数字であった。だが、その後の日本球界への影響を考慮すれば、まさに歴史的な瞬間であった。

 64年に日本人初のメジャー・リーガーになった村上雅則は、南海からジャイアンツに野球留学して首脳陣の目に留まり、昇格した。だが日本人2人目の野茂は、力技で道を切り開き、メジャーの舞台にたどり着いた。近鉄入団1年目の90年から4年連続最多勝でかつ最多奪三振。日本のプロ野球を代表する投手だった。

 だが94年は肩の故障もあって8勝7敗に終わる。その年のオフ、契約更改の席で、当時認められていなかった複数年契約を求めて球団ともめた。鈴木啓示監督との確執もあった。野茂と球団の関係はこじれ、修復は不可能。結局、任意引退となった。これは近鉄が保有権を持つもので、国内の移籍には近鉄の承認が必要になる。だが、海外移籍には適用されないとして、メジャー行きが可能になった。一連の動きで、球団ともめたことで、野茂と日本メディアは鋭く対立することになる。

 野茂は団野村代理人の力も得て、日本と関係の深いオマリー・オーナーのドジャースに2月13日に入団。マイナー契約だった。日本で一流投手でも、メジャーでは力量に疑問符がついていたということだ。そんな厳しい立場で海を渡り、メジャー初登板まで漕ぎ着けたのだった。2013年にドジャー・スタジアムで始球式を行った野茂は、メジャーで一番の思い出は「初登板のとき。夢がかなった」と話していた。

 メジャー・デビュー戦は先発して5回を投げ1安打、無失点、4四球、7奪三振。勝敗は付かなかった。初勝利は7試合目の登板となった6月2日のメッツ戦。8回、2安打、1失点だった。「みんなが祝福してくれたので、気持ちが伝わってくるものがあった」と感激していた。さらにオールスター戦に選出されて先発投手の大役を果たした。まさに「野茂旋風」が吹き荒れた95年になっていくのだ。(文中敬称略)

<次回に続く>

『週刊ベースボール』2020年8月31日号(8月19日発売)より

文=樋口浩一 写真=Getty Images
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