週刊ベースボールONLINE

プロ野球20世紀・不屈の物語

鈴木一朗が「イチロー」、バスが「バース」。助っ人の登録名にも立ちはだかった(?)言葉の壁/プロ野球20世紀・不屈の物語【1962年〜】

 

歴史は勝者のものだという。それはプロ野球も同様かもしれない。ただ我々は、そこに敗者がいて、その敗者たちの姿もまた、雄々しかったことを知っている。

絶妙だった阪急、そしてオリックス



 21世紀に入って、プロ野球の選手たちが名乗る登録名は多彩になり、まさに百花繚乱といえる様相を呈している。プロ野球に限らず、周囲を見渡しても、見たこともないような漢字で、とても読めない名前の若者も少なくなく、名前の“自由化”は21世紀に入って全体的に加速したのだろう。

 こうした潮流のエポックとなったのは21世紀に入ってメジャーから日本ハムへ復帰した新庄剛志ことSHINJOになるだろうが、源流となったのは、20世紀、1994年のオリックスで間違いなさそうだ。新たに就任した仰木彬監督の発案で、5年目の佐藤和弘は「パンチ」に、3年目の鈴木一朗は「イチロー」に登録名を変更。前者は大喜びだったが、後者は微妙な反応で、最初は冗談だと思ったという。

 ただ後者、つまりイチローは変更1年目からプロ野球で初めてシーズン200安打を突破したことで、後に続く選手が次々に登場した。日米を股にかけた活躍を振り返ってのことにはなるが、鈴木という姓が多いこともあり、もし「鈴木一」で定着していたら、選手としての結果は変わらなかったとしても、ファンの盛り上がり方は微妙に変わっていた可能性はある。一方の前者も、「佐藤和」で引退していたら、その後のタレント生活は変わっていたかもしれない(?)。

 その前身の阪急も、助っ人の登録名に絶妙なスパイスを加えて歴史に刻み込んだチームだった。84年に外国人選手として初めて三冠王に輝き、阪急としての最後の優勝に大きく貢献したのがグレゴリー・デウェイン・ウェルズ。これでは誰だか分からないが、登録名「ブーマー」だ。アメリカ球界でのニックネームを登録名にして大成功。まさに「ブームを呼ぶ男」となった。86年に入団してクローザーを務め、試合を締めて捕手の藤田浩雅をボコボコにするパフォーマンスでファンを沸かせたのがブラッド・レスリー。まさに「アニマル」だった。

 ブーマーに続いて、セ・リーグで85年に三冠王となって阪神の21年ぶりリーグ優勝、2リーグ制で初めての日本一の立役者となったランディ・バースも、発音は「バス」。ただ、それだとケガでもしたら「阪神バス故障」、活躍しても「阪神バス大爆発」など書かれ、親会社の経営にも影響しかねないと「バース」としたのだという。実際、バースは大爆発。ある種のリスクマネジメントだったが、バースの獲得と合わせて大成功だった。

登録名「マニー」の姓が……


南海・王天上


 海外で現地の人が自分の名前を上手に発音できず、妙な名前で定着してしまって、複雑な思いを抱えながら抵抗をあきらめた、という経験がある人も少なくないだろう。バスが「バース」くらいならまだしも、大きく変わってしまったのが南海の王天上だ。79年の入団だが、80年代に続々と来日してきた台湾の選手ではない。カリフォルニア州の出身で、本名はフランク・オーテンジオ。当時まだ巨人王貞治が現役で、「王を超えてほしい」という思いからの命名だった。

 球団の思いは痛いほど分かるが、ひねり過ぎると失敗するのは世の常。おそらくは見たことも書いたこともなかったであろう漢字になってしまった当人も、口にはしないまでも、複雑な思いだったのではないだろうか。ファンに登録名でサインを書こうとするだけでも、ちょっとしたトレーニングが必要だったはずだ。結果、グラウンドでも王を超えるどころか、翌80年シーズン途中に退団している。

 笑い話なのか、あるいは笑ってはいけないのか、伝説的な存在ともいえるのが大毎(現在のロッテ)のマニー。名はフランコで、姓は書かない。62年の入団。近年であれば間違いなく登録名は「フランコ」になるだろうが、当時は球場のスコアボードは電光式ではなく、外国人の登録名は姓というのが一般的だった時代だ。長すぎる姓は何かと不自由だが、短縮すると日本語としては卑猥に聞こえかねない姓に球団は苦心して、「マニー」に落着したが、オフに退団した。もし正しい姓の発音でイチローのような活躍をしていたら……いや、もうよそう。

文=犬企画マンホール 写真=BBM

関連情報

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング