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球界の論点

「飼い殺し」をなくす…好例として澤村拓一の名が球史に刻まれるか?/球界の論点

 

変わりつつある球団関係者の意識



 まさに電撃的だった。9月7日、巨人が澤村拓一投手のロッテへのトレードを発表した。1対1の交換相手は香月一也内野手。プロ10年目右腕のシーズン途中の放出決定は驚きだった。

 背番号15を背負った澤村は、巨人の期待の星だった。2011年にドラフト1位で巨人入りし、同年に11勝で新人王を獲得。抑えに転向すると、16年には最多セーブのタイトルに輝くなど主力として活躍した。今季は中継ぎとして起用されたが、不振による三軍落ちにも甘んじた。澤村はトレード発表後、巨人球団を通じて「移籍しても成長し、元気な姿を一人でも多くの方に届けられるよう頑張る」とコメント。一方、ドラフト5位で15年にロッテ入りし、今季は出場機会がなかった香月は「このチャンスを生かすべく、貪欲に、精いっぱい頑張りたい」と前向きに語った。

 その昔、トレード要員は「戦力外」としてのイメージが先行していた。だが、最近は球団関係者の意識が急速に変わりつつある。

 澤村移籍の際、原辰徳監督は右腕に対する思いを吐露した。「澤村は、私にとっても非常に思い出深い、素晴らしい選手だった。コーチ、選手や教え子という立場の中で、一番話した人かもしれない。よく話をした。笑ったり、時には涙を流したり。思い出はもちろんある」。並外れた才能の持ち主ながら、なかなか本来の力を出し切れない。思い入れがある特別な選手だからこそ、誰よりも歯がゆかったのが原監督だったのだろう。

 トレードを決断した理由について、原監督は澤村というアスリートの未来を考え、苦渋の決断であったと明かす。「いろいろな意味で、彼の中でもステップアップの材料にするのが正しいことであろうと考えた。彼と電話で話して、エールを贈った。『同じ野球界にいる。俺は味方だ。応援しているぜ』と。そういうふうに送り出した」。

 潜在能力を出し切れない選手が、出番のないまま球団に留め置かれる、いわゆる「飼い殺し」の状況を見直そうというムードが球界全体に広がっている。潤沢な資金力を背景にして、他球団で活躍されるぐらいなら、年俸を与えてでも雇い続ける――という利己的な考えは、今の時代にはそぐわない。

「この声援は絶対に忘れない」


 出場機会が少ない選手の移籍を目的とした「現役ドラフト」(仮称ブレークスルードラフト)の導入への話し合いが棚上げ状態となっている。同制度については、日本野球機構(NPB)と10年以上前から導入を訴えてきた労組日本プロ野球選手会の事務折衝で、今年中に導入することで大筋一致。しかし、新型コロナウイルスの影響で協議が進まず、実施は来季以降になる見込みとなっている。コロナ騒動の落ち着きもささやかれ出した中、トレード、フリーエージェント(FA)に続く移籍の第三のルールとしてその動向にまた注目が集まりそうだ。

 トレード発表の翌8日、澤村は慌ただしい一日を過ごした。朝一番で川崎市のジャイアンツ球場を訪れ、二軍の阿部慎之助監督をはじめコーチ、選手にあいさつ。「ジャイアンツにドラフトで指名してもらい、これまで短いようで長い時間だった。たくさんの方々に支えられてプレーできた。感謝している」。

 午後からはロッテの入団記者会見に出席。その日に出場選手登録されると、いきなり本拠地のZOZOマリンスタジアムで1点リードの6回に登板した。渡邉諒を手始めに、巨人時代に同僚だった大田泰示クリスチャン・ビヤヌエバと3者連続で三振。快投で新天地での派手なデビューを飾った。新しい背番号57のユニフォームが間に合わず、福嶋明弘打撃投手兼スコアラーの106を背負っての登場。熱狂的なロッテファンに大歓声で迎えられ、澤村は「この声援は絶対に忘れない」と感慨深げだった。

 それぞれの思いを胸に存在感をアピールし、舞台を沸かせて、ファンに夢と希望を与える。それこそがプロフェッショナルとしての究極の喜びだ。チャンスは一度だけではない。移籍がチームを活性化した好例として球史に刻まれるかどうかは、まだ誰も分からない。澤村の第2幕はまだ始まったばかりだ。

写真=BBM

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週刊ベースボール編集部

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