力強い打撃も武器の3年目・大城が現在、正捕手の座をつかみつつある
1934年に創設され、リーグ優勝46回、日本一22回と圧倒的な成績を残し、球界の盟主と称される
巨人。これまでに何度も「黄金期」と呼ばれる時代を経験しているが、その裏にはチームを陰から支える生え抜きの名捕手がいた。今回は、「巨人を支えた生え抜きの名捕手」を紹介する。
戦地で散った巨人最強の名捕手
1リーグ時代に、巨人はリーグ6連覇を記録。初代監督の藤本定義が率いたこの時代を第一次黄金期と呼ぶが、1938年秋季から1941年までのリーグ4連覇に大きく貢献したのが
吉原正喜だ。1938年に
川上哲治と共に入団した吉原は、いきなりレギュラーに選ばれ、35試合中34試合に出場。同年秋季は全試合に出場し、好捕と強肩でチームを支えた。多くのレジェンドが「最高の捕手」として挙げるほどのプレーで不動の正捕手となった吉原だが、1941年に徴兵されて退団。残念ながら戦地で命を落とすこととなった。巨人でのプレーはわずか4年と短かったが、その活躍が現在の巨人の礎になったことは間違いない。
2リーグ制となった1950年からは
水原茂(円裕)がチームを率い、退団するまでの11シーズンで8度のリーグ優勝を記録。特に1955年からのリーグ5連覇は、生え抜き捕手の
藤尾茂の存在が大きかった。1953年に入団した藤尾は、3年目の1955年の日本シリーズで活躍したことから正捕手の座を獲得。1956年は117試合に出場し、打率.276、14本塁打とリーグ上位の数字を記録、守備面だけでなく強打でもチームに貢献した。レギュラーとなった1956年からは4年連続でベストナインにも選出されており、巨人の顔の一人でもあった。
巨人V9の正捕手、森。抜群のインサイドワークを誇った
藤尾に代わり台頭したのが森昌彦(祇晶)だ。プロ4年目の1959年に本格的に起用され、1961年に川上哲治が監督に就任すると不動の正捕手として重宝されることとなる。森の打力は高くなかったが、インサイドワークは球界屈指のものだった。川上政権時の巨人は1965年から1973年までリーグ9連覇を記録。いわゆる「V9時代」だが、森の頭脳なしでは難しかっただろう。
山倉、村田に阿部……印象深い活躍を残した生え抜き捕手
巨人史上No.1捕手と言っても過言ではない阿部
1980年代の巨人を支えた名捕手が
山倉和博だ。1978年ドラフト1位で入団した山倉は、第一次長嶋政権最終年の1980年に正捕手に抜擢。思わぬ場面で活躍する意外性のあるバッティングと、投手に気持ちよく投げさせる独特のリードが評価され、
藤田元司監督、
王貞治監督時代にも正捕手として重宝された。1987年には巨人の捕手では初めてとなるシーズンMVPも獲得している。
1989年には第二次藤田監督時代が始まるが、その翌年1990年に正捕手に起用されたのが当時プロ9年目の
村田真一だった。長くくすぶっていた村田だが、勝負強い打撃と好リードで期待に応えると、1993年から始まった第二次長嶋政権下でもその実力をいかんなく発揮。当時はライバルも多く、規定打席に到達したシーズンは一度もなかったものの、11年もの間正捕手としてチームを支え、最終的に巨人の捕手として歴代4位の1087試合に出場。1990年代の巨人の捕手といえば村田しかいない、というファンも多いだろう。
昨シーズン現役を引退した
阿部慎之助も、巨人の一時代を築いた生え抜きの名捕手だ。2001年、逆指名のドラフト1位で入団した阿部は、1年目にいきなり127試合に出場。実戦と長く正捕手を務めた村田真一の指導の下で厳しく鍛え上げられ、またたくまにリーグを代表する捕手に成長した。特に打撃は屈指の実力で、2012年には首位打者、最多打点の二冠を獲得。通算406本塁打は、巨人の捕手では歴代トップ。野手としても、王、長嶋に次ぐ歴代3位だ。巨人史上最強の捕手とっても過言ではない。
今シーズンの巨人はプロ3年目の
大城卓三が正捕手の座をつかみ、打撃とリードの両面で巨人を支えている。まだまだ足りない部分は多くあるが、果たして今回挙がった過去のレジェンドに匹敵する選手へと成長できるか、今後の成長に期待したい。
文=中田ボンベ@dcp 写真=BBM