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プロ野球20世紀・不屈の物語

GT決戦の最高にして最悪の優勝決定試合…プロ野球で初めての最終戦直接対決/プロ野球20世紀・不屈の物語【1973年】

 

歴史は勝者のものだという。それはプロ野球も同様かもしれない。ただ我々は、そこに敗者がいて、その敗者たちの姿もまた、雄々しかったことを知っている。

巨人の出遅れ、阪神の猛追


9年連続でセ・リーグを制した巨人(前列は川上哲治監督、後列は左から堀内恒夫王貞治長嶋茂雄


 優勝の行方というものは、やはり最後の最後までもつれたほうがいい。ひとつのチームだけを応援しているファンも、あまりにも早く優勝が決まってしまったら、それはそれで喜ばしいことかもしれないが、そこから閉幕までは手持ちぶさたのようになってしまうだろう。

 シーズン最終戦の直接対決で優勝が決まった試合としては、1994年の巨人と中日との対決、いわゆる“10.8”が真っ先に思い出されるに違いない。テレビ中継の黄金時代は過ぎていたが、それでも平均視聴率で史上最高の48.8パーセントを叩き出した試合だ。このときは巨人も中日も、ともに69勝60敗で勝率まで並んでいたから、巨人の長嶋茂雄監督が「国民的行事」と表現したのも間違いなかった。

 ただ、勝ったほうが優勝、という最終戦の直接対決としては、プロ野球で初めてのことではない。まだ長嶋監督が現役だった時代、巨人が空前絶後のV9を決めた試合こそが、初めて最終戦直接対決による優勝決定試合だ。しかも、相手は伝統のライバルでもある阪神。そこに至る両者の経緯も劇的だったが、残念ながら“10.8”のように語り継がれていないのは、勝率が同じという要素が欠けていたからではない。

 73年。前年までV8と無敵を誇っていた巨人は、7月15日の時点で5位。そこから徐々に追い上げて、阪神を引きずり降ろして首位に立ったのは8月31日のことだった。そこから阪神は転落を続け、5位に沈む。9月25日には巨人にマジック13が点灯。だが、その2日前、23日から阪神の猛追が始まっていた。そこから10勝1敗で巨人のマジックを消滅させ、0.5ゲーム差まで追い詰める。10月10、11日の後楽園での直接対決は、10日は阪神が田淵幸一のグランドスラムで勝ち、11日は巨人が7点差を追いついてドロー。だが、16日に巨人が敗れたことで阪神にマジック1が点灯する。

 続く中日戦に勝つか引き分けで優勝だ。しかも、ライバルの連覇を阻む歴史的なものだが、阪神は中日に完敗する。先発は“中日キラー”上田二朗ではなく、江夏豊。その前日にフロントが江夏に「明日は勝たんでいい。優勝するとカネがかかるから」と言ったという信じられない話も伝わる。そして22日。阪神は本拠地の甲子園球場に、V9がかかる巨人を迎え撃つことになる。

リーグV9の最初と最後


巨人の優勝が決まり、暴徒と化した阪神ファン


 甲子園球場には、歴史的な歓喜の瞬間を目にしようと、阪神ファンが詰めかけていた。阪神の先発は、すでに22勝を挙げている上田。ただ、大一番への緊張からか、前夜は4時間ほどしか眠れなかったという。ガチガチだったのは上田だけではない。阪神ナインの多くは優勝の味を知らず、みな硬くなっていた。ただ、それ以上に、チームの不協和音がナインの気力を奪っていたのかもしれない。阪神は散発4安打で、二塁すら踏めず。対する巨人は14安打の猛攻で9点を奪い、まさかの一方的な展開でV9を決めた。

 思えば、V9の幕が開けた65年のリーグ優勝でもグラウンドの胴上げはなかった。巨人の試合は雨天で中止、2位の中日が敗れたことで優勝が決まり、テレビ局の祝勝会でスーツ姿の川上哲治監督を静かに胴上げ。そして、V9最後のリーグ優勝でも胴上げはできなかった。試合が終わるや否や、殺気だった阪神ファンがグラウンドに乱入、完封した巨人の高橋一三は日本シリーズと合わせて8度目の胴上げ投手になるはずだったが、脱兎のごとくベンチへダッシュ。巨人ベンチでは逃げ遅れた王貞治や末次民夫が襲われ、阪神の金田正泰監督がファンに頭を下げるまで混乱は続いた。

 愛する阪神が憎き巨人のV9を阻んで甲子園で胴上げ、という最高の夢を描いて球場へ来ていながら、最悪の形で裏切られることになった阪神ファン。その気持ちも分からないではないが……。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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