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巨人からFAの人的補償で中日移籍 落合博満が「大もうけ」と称賛した選手とは

 

落合監督の予言が見事的中


中日ではお立ち台の「やりましたー!」という決めゼリフでも人気だった


 主力選手がFA移籍した際、人的補償で獲得した選手が抜けた穴以上の大きなプラスアルファをもたらすケースもある。その代表的な例が巨人からFAの人的補償で移籍し、中日で活躍した小田幸平だ。

 2005年オフ。中日の野口茂樹が巨人にFA移籍することが発表された。左腕エースとして活躍し、98、01年と最優秀防御率を獲得し、99年には19勝をマーク。ただ02年以降は下降気味で05年は3勝に終わっていた。同年オフに巨人へFA移籍。その際に巨人から人的補償で中日が獲得したのが小田だった。当時の落合博満監督は06年1月に放送されたテレビ愛知の『落合VS板東大放談オレ竜2006』で、「正直言って小田が(プロテクトから)外れていると思わなかったよ」、「大もうけと言っていいんじゃないのかな」、「ジャイアンツの中でウチの走り屋を刺せるのは小田だけでしょ」と高く評価していた。敵として脅威だった強肩が心強い味方になる。周囲は懐疑的な見方も多かったが、落合監督の予言は見事に的中する。

 小田が巨人での在籍8年間で自己最多出場は05年の31試合。強肩はリーグ屈指の評判だったが打撃面が課題で、正捕手・阿部慎之助、2番手・村田善則に次ぐ3番手捕手の位置から抜け出せなかった。だが、中日では山本昌が登板する際にマスクをかぶり、交流戦などでもスタメンで起用される。当時の中日には谷繁元信という絶対的支柱がいた。小田は中日移籍後もシーズン出場試合数は毎年25試合〜40試合と決して多いわけではない。ただ、谷繁とは違う配球の組み立て、強肩で不可欠な存在になる。移籍初年度でリーグ優勝に貢献した06年は33試合出場で打率.158、0本塁打だったが、守備力を重視するチーム戦略で活躍が評価される。同年オフに1300万円増の推定3600万円で契約更改した。

 ムードメーカーとしても愛された。ヒーローインタビューで「やりましたー!」という決めゼリフが流行し、球団がグッズを製作したことも。10、11年とリーグ2連覇を達成すると11年オフにFA権を行使せずに残留し、中日で巨人での8年を上回る9年間プレー。FA移籍した野口が巨人での在籍3年間で計1勝のみと結果を残せず、退団したのとは対照的だった。

巨人では阿部、村田善に次ぐ3番手捕手という位置づけだった


 小田は14年限りで中日を退団し、他球団での現役続行を模索したが引退を決断する。過去の週刊ベースボールのインタビューに対し、「僕はずっと2番手。レギュラーを取っていないので、プライドはありませんでした。ただ、『野球がしたい』という気持ちが強かった。とはいえ自分の中で、17年もプロでやっていたのだから、必要とされればオファーは来るだろうという思いもありました。『僕を取ってください』ではなく、『お前が欲しい』と言われるところに行きたかったので、最終的にはあきらめがつきました」とその胸中を明かしている。

 現役通算17年間で371試合出場し、打率.197、2本塁打、45打点。規定打席には1度も到達しなかったが、野球はレギュラーだけで戦うスポーツではない。15年1月に行われた引退会見の最後には報道陣からの要望で「17年間、やりましたーっ!」とお立ち台の決めゼリフを絶叫した。底抜けに明るいキャラクターと強肩を武器に、中日の黄金時代を縁の下から支えた名脇役だった。

写真=BBM
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