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プロ野球20世紀・不屈の物語

あのときと同じ球場、そして同じ投手を相手に……吉村禎章1990年の“奇跡”/プロ野球20世紀・不屈の物語【1990年】

 

歴史は勝者のものだという。それはプロ野球も同様かもしれない。ただ我々は、そこに敗者がいて、その敗者たちの姿もまた、雄々しかったことを知っている。

優勝を決めたサヨナラ弾の足元


大ケガから奇跡の復活を果たした吉村


 1990年。セ・リーグのペナントレースは、巨人の独壇場だった。これほどまでに独走して、危なげないVロードに、V9時代と同様、ファンが離れやしないかと余計な心配をしたくなるほどの圧勝。全チームに勝ち越し、最終的には2位の広島に22ゲームという大差をつけた。

 開幕から出遅れ、そこから逆転していくという展開も少なくない巨人だが、この90年は開幕4連勝。5月には一度、暗黒時代にあった大洋に抜かれるというハプニング(?)もあったが、すぐ抜き返し、ふたたび独走態勢に。最初のマジック点灯は8月3日だ。このときマジック32。これも、すさまじい勢いで減らしていった。そして迎えた9月8日のヤクルト戦(東京ドーム)で、2リーグ制となって最速でリーグ優勝を決める。

 その瞬間も最高だった。野村克也監督1年目のヤクルトも意地を見せて、8回表に1点を返して同点に追いつくと、試合は延長戦に突入。だが、巨人の勢いを完全に止めることはできなかった。10回裏一死から、吉村禎章がサヨナラ本塁打。もし安定感あふれるVロードに退屈したファンがいたとしても、選手生命を絶望視されるほどの故障から復活を遂げた男の劇的な一発は、ふたたび彼らを振り向かせたに違いない。ほぼ完璧なペナントレース。ただ、これも吉村の視点に立ってみると、少し違った風景に見えてくる。

 吉村の故障、そして復活については、この連載でも詳述した。衝撃的なアクシデントが起きたのは88年で、このシーズンの吉村は離脱するまでの65試合の出場にとどまっている。復帰を果たし、代打で二ゴロに倒れながらも、万雷の拍手を浴びたのが翌89年9月2日のヤクルト戦(東京ドーム)だ。ちなみに、このときの投手は新人の川崎憲次郎だった。この89年は、そこから17試合に出場して、5安打を放っている。わずか5安打ではない。打席に立つことすら奇跡といわれた吉村の5安打は、この男の才能が失われていないことを証明するのには十分すぎるほどの数字だった。

 迎えた90年。守備や走塁は、さすがにアクシデント以前のものに戻すことはできなかったが、打撃に関しては、あの悪夢が現実ではなかったかのようにすら見えた。最終的にはブレークした83年と同じ84試合の出場で、14本塁打、打率.327。優勝を決めた一発も、その幻を強く補強した。だが、我々にも「もし、あの事故がなかったら」と思いたい願望がある。天才が、この90年ペナントレースの巨人のように、順調すぎるほど順調にキャリアを送っていたとしたら、どんなにいいだろう。その夢に心地よく酔いしれたまま、いつまでも夢が覚めないでほしいとも思う。だが、この優勝を決める一発という歓喜の場面でさえ、吉村の足取りを見れば、我々の夢が幻であり、あの悪夢が現実であったことを思い知らされるのだ。

打撃フォームの違い


劇的な一発に巨人ナインも大興奮。クロマティが吉村に抱きつく


 1歩、また1歩、吉村は自分の足取りを確かめるかのように打席へ向かっているように見えた。マウンドには川崎。球場も、相手チーム、そして投手も、復活の打席と同じ。そのときは二ゴロでも喝采を集めたが、この場面で期待されているのは不屈の復活劇ではなく、優勝を決める一発であることは明確だった。

 期待に沸く東京ドーム。だが、吉村の周囲だけが静寂に包まれているかのようにも思えた。そして打球は巨人ファンの待つ右翼席へ。スタンドは一瞬にして沸騰。ゆっくりとダイヤモンドを1周する吉村を、ナインが全員で出迎えた。ちなみに吉村は、この前日から15日まで5試合連続本塁打。数字では全盛期の輝きを取り戻したかのようでもあった。

 ただ、フォームは大きく変わった。のちに吉村は「ケガの後は1年1年、打撃を修正した。タイミングの取り方、バットの角度……。タメが効かないから、最初から右足にウエートをかけておこうと思ったこともある」と語っている。以前は、しっかりとタメを作り、下半身主導で回転する柔らかいスイングだったが、早い段階で体重を右足へ移動させて、ハンディキャップをカバーするようになっていた。

 98年までプレーを続け、通算149本塁打で現役を引退した吉村は、会見で「1打席1打席、応援してもらったファンの人たちに、心から感謝したい」と語って、涙を流している。復帰したときの打席は、誰もが奇跡だと思った。ただ、吉村にとっては、その後の打席すべてが奇跡の連続だったのかもしれない。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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