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日本人メジャーの軌跡

英語を駆使し仲間に打ち解け知恵を生かしてリリーバーで開眼した長谷川滋利/日本人メジャーの軌跡

 

長谷川滋利投手は1997年4月5日、エンゼルスの先発投手としてインディアンス戦でメジャー・デビューし4回1/3を投げ5失点wで敗戦投手になった。その後1年目は先発投手として壁に当たり、50試合に登板して先発は7試合。2年目からはリリーフ専門になった。

MLB仕様の投手と見られず


日本人選手としてはメジャーで歴代最多の517試合に登板した長谷川


 1990年代、「150キロの剛速球とフォークボールがなければメジャーで通用しない」と言われていた。野茂英雄伊良部秀輝もそうで、当時メジャーのスカウトから注目されていた大魔神・佐々木主浩も同様だった。真っすぐのスピードが140キロ台でスライダーを武器とする長谷川は、MLB仕様の投手とは見られていなかった。

 実際にメジャーに来て、力の差を実感した。しかしあこがれの舞台で挫折している暇はない。長谷川は「野茂君や伊良部君はアメリカでも一流の投手。一流ではない僕には、彼らにないものが必要だ」と言っていた。それは英語だ。コーチやチームメートと直接コミュニケーションを図ることで、トレーニングの方法やピッチングの技術、対戦相手の情報、審判の判定の傾向などを知った。通訳を介しても教えてもらえそうだが、ルールぎりぎりのデリケートなことになると、なかなかそうはいかないものだ。その点、直接話をすることで打ち解けると、際どいことまで教えてくれた。

 こうして手にした情報をもとに効果的なトレーニングで体を鍛え、球速がアップ。コントロールを磨き、変化球のキレも増した。そして相手の打者が嫌がるところや、各審判がストライクを取ってくれるところを頭に入れてピッチングを組み立てた。長谷川にはピッチングはパワーだけではないとの思いがあり、メジャーで自らの身をもって証明しようとしたのだった。

 メジャーでリリーフとしての立場を確立。2005年いっぱいで9年間のメジャー生活を終えるまで、長期間欠場することもなく毎年46試合登板した。マリナーズ在籍時の2003年には前半戦で1勝0敗、防御率0.77、5セーブでオールスターに選出された。佐々木の故障で後半はクローザーを務めた。結局、歴代日本投手として最多の517試合に登板した。

 長谷川はオリックス在籍時から球団首脳に根回しをし、金銭トレードで円満に渡米しており、野茂が力技でメジャーへの扉をこじ開けたのとは違い、長谷川は賢く立ち回ったように見える。だが、それも長谷川らしく自身の道を歩んだだけなのだろうと思う。(文中敬称略)

『週刊ベースボール』2020年9月28日号(9月16日発売)より

文=樋口浩一 写真=Getty Images
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