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プロ野球20世紀・不屈の物語

落合博満の“1/4”になった男たち。その涙と笑顔とは/プロ野球20世紀・不屈の物語【1986〜89年】

 

歴史は勝者のものだという。それはプロ野球も同様かもしれない。ただ我々は、そこに敗者がいて、その敗者たちの姿もまた、雄々しかったことを知っている。

「僕が何かしましたか?」


1987年、ロッテから移籍して中日の一員となった落合


 20世紀の最終盤にFA制度が導入されて、定着した21世紀の昨今、衝撃的なトレードは確実に減った印象がある。最後の衝撃トレードといえるのは、1986年オフ、落合博満のロッテから中日への移籍だろう。衝撃の度合いではプロ野球の歴史でも指折りであり、その後、これを超えるほどの衝撃はない。このことについては落合を紹介した際にも触れたが、2年連続で三冠王に輝きながらも移籍を志願しただけでも前代未聞のこと。どこへ移籍するかによっては球界の勢力図が一変する可能性もあり、その発言だけでなく、一挙手一投足にも注目が集まっていた。

 当初は巨人が有力とされていたが、獲得したのは中日。その交換相手に選ばれたのは4人の選手だった。正二塁手の上川誠二が唯一の野手で、クローザーを務めていた右腕の牛島和彦、同じく右腕の平沼定晴、そして左腕の桑田茂だ。これによって球界の勢力図が変わったかは意見の分かれるところだろう。だが、少なくとも、この4人の人生は一変した。4人の記者会見も行われたが、笑顔と拍手で迎えられながらも、全員が硬い表情をしていたのも印象的だ。

ロッテ移籍1年目に最優秀救援投手のタイトルに輝いた牛島(右。左は中日・郭源治


 移籍を告げられた牛島は「僕が何かしましたか?」と聞き返したと伝わる。トレードされるのはチームに不要な選手というイメージも根強かった時代でもあるが、それ以上に、かつてはチームメートとして一緒に汗を流し、兄のように慕っていた星野仙一監督が就任したばかりのトレード通告だったことが大きかっただろう。引退も選択肢に入れながら、2日間の苦悩を経て移籍を受け入れた牛島は移籍1年目に2勝24セーブで初の最優秀救援投手に輝き、89年には先発に回って12勝を挙げるなどチームに貢献。だが、その後は肩の故障で満足に投げられない状態が続き、92年4月7日のダイエー戦(千葉マリン)で924日ぶりの勝ち星を挙げたときには、お立ち台で号泣した。翌93年オフに現役を引退。中日とロッテ、ともに7年ずつのキャリアを終えた。

ロッテでは本領を発揮できなかった桑田


 牛島の場合は、新天地の後半は故障に苦しんだとはいえ、キャリア唯一の規定投球回到達など、新たな花を咲かせたといえるだろう。移籍で運命が暗転したのは桑田だった。北陽高からドラフト外で79年に入団した桑田は、5年目の83年に初めて一軍のマウンドを踏んでおり、遅咲きの部類に入る。左のワンポイントがメーンだったが、86年には自己最多の25試合に登板してプロ初完投をマークするなど、そこからの活躍が期待される左腕だった。だが、ロッテでは登板機会に恵まれず、投げてもワンポイントに終始、移籍3年目には一軍登板なしに終わり、ユニフォームを脱いでいる。

運命の89年?


ロッテで正二塁手の座を獲得した上川


 グラウンドとスタンドの“距離”が近いと言われていたナゴヤ球場から、閑古鳥が鳴いていた川崎球場へ。「落合の1/4!」というヤジにさらされながらも、「お客さんが少ないからモチベーションは下がる。でも、あたたかかったですよ」と振り返るのが上川だ。

 もともと、しぶといプレーで鳴らした陽気なガッツマン。エピソードも牛島と対照的で、「『プロ野球ニュース』のクイズ番組の収録をしていたら電話がかかってきて、すぐ名古屋に来いって。朝の新聞に名前が出ていたらしいですが、見ていませんでした。名古屋に土地を買っていたんですが、こっち(首都圏)は名古屋より狭いのに家賃が倍。子どもも生まれるので(家)を買おうとなって、名古屋の土地を売ったら値段が上がって倍くらいになっていて。あれは助かりました」と笑う。慣れない川崎球場のグラウンドに苦しんだが、移籍3年目には西村徳文を三塁に追いやってレギュラーに。中盤までは”隠れ首位打者”といわれるなど結果も残している。

死球を与え、清原にヒップアタックを食らった平沼


 一方、事件が続いた(?)のが平沼。リリーフや谷間の先発という役割はロッテでも同じで、4人のうち最も変化がないようにも見えた平沼だったが、牛島が12勝、上川も正二塁手となって、桑田にとってはラストイヤーとなった89年の終盤に“事件”が起きる。9月23日の西武戦(西武)で清原和博の左ヒジに死球を与えると、清原にバットを投げつけられ、さらにマウンドへ突進してきた清原からヒップアタックを食らって2メートルあまり吹っ飛ばされた。平沼は左肩と左太ももの挫傷で全治2週間。その後も96年に古巣の中日へ復帰して、清原が去った西武で98年の1年だけプレーして引退するなど数奇なキャリアをたどった。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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