一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 名将たちのDNA
今回は『1972年2月14日号』。定価は90円。
大洋のヘッドコーチとなった
青田昇の契約金が話題になっていた。
球団からは1000万円を提示されたらしいが、
「いらない。その代わり、大洋が優勝した際は日本シリーズ収入の4割を功労金にもらいたい」
と言ったという。これがおよそ2000万円。さすがギャンブラー青田だ。
計算もある。打率が2分上がれば、引き分けや接戦負けから12は勝ちに変わると読む。それで前年の61勝+12勝で、青田が72年の優勝ラインとにらむ73勝になるというのだ。
71年3位となった大洋だが、打率はリーグ最下位の.216、パの首位打者・
江藤慎一も加わり、打撃指導には定評がある青田にしたら2分上げるのは現実的な目標だろう。
実際、72年のチーム打率は.242、打点は338から466に上昇。リーグ全体が71年の.230から.245となったとはいえ、さすが。
優勝は74勝だから青田の読みは鋭い。
守備ではシピン、ボイヤーの三遊間(シピンはショートとも言われていた)、特にメジャーでも好守で鳴らしたボイヤーへの期待は高い。メジャー通からは「長嶋(茂雄)
ダットサン、ボイヤーはキャデラック」とも評されていた。
青田は自主トレ初日こう言っている。
「ワシはたくさんのことを勉強させてもらった。藤本(定義)監督には忍を、水原(茂)監督からは和を、三原(脩)さんからは野球術を、そして西本(幸雄)さんからは情熱を学んできた。ワシにまだできんのは忍かもしれんな」
では、またあした。
<次回に続く>