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プロ野球20世紀・不屈の物語

広島、20世紀ラストVを支えた「目に見えない力」とは/プロ野球20世紀・不屈の物語【1991〜94年】

 

歴史は勝者のものだという。それはプロ野球も同様かもしれない。ただ我々は、そこに敗者がいて、その敗者たちの姿もまた、雄々しかったことを知っている。

わずか9球のマウンド


91年、本拠地で優勝を決めて抱き合う広島・達川(左)、大野


 広島が20世紀で最後の優勝を飾ったのが1991年のことだ。5年ぶりのリーグ優勝だったが、この間に時代は昭和から平成となり、広島でも5年前に引退した“ミスター赤ヘル”山本浩二監督の3年目。戦力も大きく若返り、20世紀における優勝の中でも、ほかとは違った印象もある。ただ、20世紀における困難では他チームには負けない広島の歴史を凝縮したようなシーズンだったようにも見えた。

 ペナントレースは悪夢から始まった。4月14日の巨人戦(広島市民)で、8回裏からリリーフに立った“炎のストッパー”津田恒実が、わずか9球で降板。津田は激しい頭痛、極度の倦怠感に襲われていて、それをチームに隠して登板したものの、そんな症状が投球に影響がないはずもなく、そのまま戦列から離脱していった。ナインには津田は水頭症と伝えられて、22日に手術。左腕の大野豊との“ダブル・ストッパー”構想が崩れた広島だったが、それでも5月の9連勝で首位に立った。

 だが、6月の上旬から徐々に失速。4位に転落し、7月13日の時点で首位を走る中日に7.5ゲーム差も離された。ここで山本監督がミーティングを開き、闘病している津田について語り始める。「本当は脳腫瘍。野球選手として復帰できる可能性はゼロに近い。それどころか、命の危険もある」……。初めて真実を知ったナインの衝撃は計り知れない。山本監督は「ツネのために頑張ろう!」と続けた。「津田のために」。これがチームの合言葉となる。広島は8月には2位に浮上、敵地のナゴヤ球場で9月10日からの直接対決3連戦では、初戦で中日を下して首位に立ち、そのまま3連勝。その後も勢いが衰えることはなかった。

 津田はチームの先輩からはかわいがられ、後輩からは慕われた男だった。武器は150キロを超えるストレート。これを常にケンカ腰で打者に投げつけた。ただ、ふだんは気の優しい男。「弱気は最大の敵」を座右の銘に、自らを奮い立たせ、そして追い込んで、魂を込めるかのように1球1球を投げ込んだのだ。

 強い相手には、ますます燃えた。5年前の優勝では胴上げ投手。その前年のMVPで、2年連続で三冠王となる阪神のバースに対して、すべて150キロを超えるストレートで3球三振。バースをして「津田はクレイジーだ」と言わしめた。その9月には巨人の四番で、全盛期を迎えていた原辰徳の運命を変えた1球。原のフルスイングはファウルになったが、このとき原は手のひらを骨折、その後は引退まで自分のスイングができなくなってしまったという。ただ、原は「津田の全力投球に対して、自分の力をセーブするなんてダメだと思った。あのスイングは自分の一番いいスイング。(骨が)折れたことに悔いはなかったです」と振り返る。なお、津田が最後に対戦した打者も原だった。

闘病に専念して回復の兆しも……


91年4月14日、巨人戦(広島市民)が最後の登板となった津田


 病と闘う津田。広島ナインは、そんなチームメートに優勝の報を届けることしか頭にないような戦いぶりだった。2年目の佐々岡真司にベテランの川口和久、投手陣の支柱でもあるエースの北別府学らが先発で力投すると、大野が気迫あふれるリリーフで勝ち星を落とさない。打線は三番打者に定着した3年目の野村謙二郎が31盗塁で2年連続の盗塁王。広島は10月13日の阪神戦ダブルヘッダー第2試合(広島市民)で優勝を決めた。佐々岡から大野の継投で、1回裏の1点を守り抜いた完封リレー。17勝、防御率2.44で最多勝、最優秀防御率の投手2冠に輝いた佐々岡はMVPにも選ばれた。

 一方で、この優勝について、のちに大野は「目に見えない力に支えられて戦ったシーズンだった」と振り返っている。「(開幕の時点では津田と)2人で助け合っていこうというところでしたから、ショックも不安もありました。本当はヒジを痛めていたんです。でも、津田が投げられない状態なのに、自分は投げられる。なんとか津田の分まで頑張らなきゃいけない、という思いでした」と、6勝26セーブで最優秀救援投手に。優勝が決まった瞬間、5年前の津田を彷彿とさせるガッツポーズで試合を締めくくった。

 チームの誰もが津田の回復を祈っていた。津田はオフに任意引退となり、闘病に専念することになる。一時は体重が半分にまで減るほど苦しんでいたが、ナインの祈りが通じたかのように、翌92年にはプールやジムに通えるまでに回復。だが、奇跡は起こらなかった。翌93年7月20日、永眠。32歳の若さだった。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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