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ドラフト7位から巨人の“エース”に駆け上がった「強心臓右腕」とは

 

開幕投手も務めたが……


持ち前の負けん気で巨人先発陣に食い込んだ東野


 プロ入りした新人選手は横一線のスタートだが、チャンスの数は平等ではない。ドラフト1位の選手と下位指名の選手では球団の期待値が当然違ってくる。その中で、ドラフト7位から巨人のエースに駆け上がった選手がいる。現在DeNAでスコアラーを務めている東野峻だ。

 東野は茨城県の進学校・鉾田一高でエースとして活躍。甲子園出場はならなかったが、スケールの大きさを感じさせる本格派右腕で、打撃でも高校通算36本塁打を放っている。2005年ドラフト7巡目で巨人に入団。1、2年目は右肩痛など度重なる故障に見舞われ、ファームでも打ち込まれた。だが、持ち前の負けん気でここからはい上がる。3年目にセットアッパーで頭角を現すと、9月13日のヤクルト戦(神宮)で一軍デビュー。まもなくファーム降格したが、原辰徳監督に「お前は近い将来、巨人を引っ張っていくピッチャーだ」と声をかけられたことが大きな励みになった。

 最速150キロの直球とキレ味鋭いスライダー、縦に割れるドロップを駆使する投球スタイル。一番の武器は強心臓だ。ピンチでも強打者相手に臆せず内角を果敢に突く攻めの投球がファンの心を揺さぶった。09年に先発ローテーションに定着して8勝をマーク。10年には自己最多の13勝を挙げ、11年に内海哲也を差し置いて自身初の開幕投手に。白星を飾ったが、輝きは長く続かなかった。好不調の波が激しく、8勝11敗と負け越し。翌12年も調子が上がらず一軍登板はわずか1試合のみに終わる。常勝を義務付けられる巨人で結果を出さなければ、違う投手にその座をすぐに奪われる。同年オフにオリックスへトレード移籍した。

 東野の野球人生は故障との闘いだった。慢性的に悩まされた右肩痛だけでなく、オリックスに移籍2年目の14年に重度の頸椎ヘルニアに。結果が求められる立場で休んでいられない。左半身に麻痺が残っている状態で投げ続けると、投球フォームを崩した。同年オフに戦力外通告を受けた。

オリックスから戦力外となったとき、先輩・内海(左)から熱いゲキを受けた


 東野は週刊ベースボールのインタビューで当時をこう振り返っている。「正直、引退しようと思いました。プロの世界で10年間やれたと思う一方で、まだまだやっていきたいという気持ちもありました。ただ、結果がすべての世界。この3年でわずか1勝しかできなかった。もう限界かもしれない。やっていく自信はありませんでした」。心も弱くなっていた。その決意を撤回したのは巨人時代にエースの座を争い、尊敬する内海哲也の言葉だった。電話で引退の意向を報告すると、「お前トライアウトも受けてないのに、逃げるなよ」と激励された。

肩と首は限界に


 まだ燃え尽きていない。内海の言葉に目が覚めた。12球団合同トライアウトを受けて、獲得の打診を受けたDeNAに入団したが、肩と首は限界を迎えていた。15年は3試合の登板で終わり、2度目の戦力外通告を受けて現役引退した。

 プロ11年間の野球人生で124試合登板、32勝30敗2セーブ、防御率3.43。平凡な数字かもしれないが、波乱万丈の野球人生は中身が濃い。ドラフト7位から巨人のエースの夢をつかみかけた道筋は、下位指名で入団した選手たちの大きな励みになっている。

写真=BBM
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