週刊ベースボールONLINE

HOT TOPIC

デビュー9試合で7本塁打も…二軍生活が大半だった巨人の「怪物」とは

 

王監督も大絶賛


来日1年目に衝撃的な活躍を見せた呂


 プロ野球には外国人枠がある。2002年から投手、野手で計4人が一軍登録できるが、一昔前は違った。1966〜1993年まで一軍登録できる外国人選手は2人のみ。この制度により、ファームでくすぶっていた外国人は少なくない。近鉄にトレード移籍して大ブレークしたラルフ・ブライアント中日時代に郭源治ゲーリー・レーシッチが主力として活躍していたためファーム暮らしだった。この男も外国人の登録枠が現行の制度だったら、球界を代表する強打者として名を轟かせたのではないだろうか。来日9試合で7本塁打と衝撃デビューを飾りながら、日本の野球人生の大半を二軍で過ごしていた元巨人呂明賜だ。

 アマチュア通算112発と長距離砲として評価を上げ、メジャー・リーグや日本の国内数球団が獲得に動いたが、「あこがれは王さんのいる巨人」と語っていたとおり、尊敬する母国の英雄・王貞治が監督を務める88年にドラフト外で巨人に入団する。ちなみに日本球界入りにあたって、体重が重すぎれば免除、という特例を利用して体重を100キロ近くまで増やし、兵役義務を逃れていた呂。入団時の体重にちなんで背番号「97」が与えられた。

 念願の巨人入りを果たしたが、当時はウォーレン・クロマティビル・ガリクソンと元メジャー・リーガーの外国人選手が在籍していたため、「第3の外国人」としてファームでプレー。5月27日時点で25試合出場し、打率.397、10本塁打、31打点といずれもイースタン・リーグ1位の数字で格の違いを見せつける。88年6月13日号の週刊ベースボールで、「日本人なら間違いなく王巨人の四番に座っていたアジアの大砲!」の緊急特集が組まれ、張本勲氏が「山本浩二(元広島)よりパワーがあって、大杉勝男(元ヤクルト)より器用なんだ。まったく、外人扱いというのが残念だね」と絶賛している。

 チャンスは突然舞い込んできた。6月にクロマティが死球による右手小指骨折で戦線離脱。一軍に初昇格すると、6月14日のヤクルト戦(神宮)で、初回にボブ・ギブソンから来日初打席初アーチ。「全打席ホームランを狙う。尊敬する王監督のためにガンガン打ちまくりたい」と語るように、デビュー9試合で打率.333、7本塁打と爆発する。身長178センチ、体重86キロの筋肉質の体型に前傾姿勢の打撃フォームから力強いスイングでアーチを連発。“アジアの大砲”の呼び名も定着し、スポーツニュースや雑誌で連日取り上げられ、台湾でも「呂フィーバー」が起こった。

2年目以降は壁を破れず


 王監督は「これだけ騒がれたのは呂がホームランを打つからだけじゃない。ああいう見るからに迫力のある姿で、バッティングとはこういうものだと示したからだ。特に今の野球界は小手先だけの技術に走りすぎる傾向があるからね」と称えていた。呂の活躍で外国人枠が2人だった球宴がこの年は急遽3人に増設。呂は大歓声を浴びて出場した。後半戦は疲労もあって失速したが79試合出場で16本塁打をマーク。翌年以降にさらなる飛躍が期待されたが、それは叶わなかった。

 88年限りで王監督が辞任。藤田元司監督が翌89年に就任し、クロマティが戦列に復帰すると打率.378と首位打者に輝き、ガリクソンも先発から外せなかったため、呂はファーム暮らしが続く。イースタンで15本塁打を放ったが、一軍は18試合出場で2本塁打のみ。クロマティが退団して大きなチャンスだった91年も、コーチ陣と指導方針で合わず、一軍出場はわずか9試合で0本塁打。ファーム日本選手権でMVPを獲得して退団した。

 巨人に在籍4年間で113試合出場、打率.260、18本塁打、49打点。社会現象になった来日1年目の活躍を思えば寂しい数字だが、自身の力ではどうしようもできなかった環境でもあった。一軍で出場し続けていたら、どれほどの成績を残しだろうか。

写真=BBM
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング