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落合博満が「完璧に読んでも右前打が精いっぱい」と評価した快速球左腕は

 

強烈なデビュー戦


キレのあるストレートで打者をきりきり舞いに差せた河本


 日本ハム時代の落合博満が「完璧に読んでもライト前ヒットが精いっぱい」と快速球を絶賛した左腕がいる。ロッテの守護神として活躍した河本育之だ。落合が当時現役晩年だったことを差し引かなければいけないが、史上唯一の三冠王を3度獲得した大打者の発言に納得した選手たちは多かったという。「分かっていても打てない」と評された河本の直球は確かにすごかった。

 山口県で生まれ育った河本は高校まで軟式野球という異色の道を歩んでいる。その実力は当時から異次元だった。田布施工高2年時の周防地区大会で準々決勝から決勝まで3試合連続ノーヒットノーランをマーク。3年夏は同校初の全国大会に出場し、1回戦の岐阜商高戦で初回から6連続三振を含む15奪三振と快投を見せる。1試合24奪三振の離れ業も。社会人・新日鉄光で硬式野球を始めると速球を武器に評価を高め、1992年ドラフト2位でロッテに入団した。

 1年目のデビュー戦は強烈だった。92年4月8日のダイエー戦(千葉マリン)で打者9人を相手に7連続奪三振の快投。公称身長173センチという小柄な新人左腕が投げる直球に強打者のバットが次々と空を切る。ブーマーカズ山本は空振り三振、吉永幸一郎は見逃し三振した際に驚いた表情を浮かべていた。引退時に行った週刊ベースボールのインタビューでも「それだけ三振を取れたのは自信になりましたね。プロでやっていけるのか不安もありましたけど、デビュー戦で払拭されました」と16年間のプロ野球人生で最も印象に残ったこととして、この試合を挙げている。4月は2勝0敗4セーブ、防御率0.00。新人では史上3人目の4月月間MVPを受賞した。この年は19セーブをマーク。新人王は高村祐(近鉄)だったが、優秀新人賞に選ばれてパ・リーグ会長特別表彰を受けた。

 河本の活躍が強烈だったのは、ほぼ直球しか投げなかったことだ。140キロ台前半の速球が全投球の90パーセント以上を占め、フォークやカーブを投げることは稀だった。「相手をねじ伏せるのは快感でした。ストレートにこだわりはありましたし、打たれてたまるか、という気持ちは強かったですね」と本人も回顧。球速は驚くほど速いわけではないが、手元で伸びる軌道で「体感速度は150キロを軽く超えている」と打者たちは舌を巻いた。その後も成本年秀とともにダブルストッパーで救援陣の屋台コツを支えた。97年には球団新記録の12連続セーブをマークするなどリーグ最多の25セーブを挙げた。

印象に残る落合への1球


ロッテ以外に巨人(写真)、日本ハム、楽天に在籍した


 1年目から投げ続けて6年間で計268試合登板。その後は左肩の故障に苦しみ、ゴロを打たせる投球術を身につけるが、三振奪取率は相変わらず高かった。99年オフに石井浩郎との交換トレードで巨人へ。一軍の登板機会がなかった2004年はシーズン途中に中村隼人との交換トレードで日本ハムに移籍する。同年は新天地で29試合登板し、1勝1敗、防御率2.86。プレーオフ進出に貢献した。ただ日本ハムに在籍したのはこの1年のみ。同年オフの契約更改が難航して自由契約を申し入れ、ソフトバンクと楽天の入団テストに合格し、楽天への移籍を決断する。

 06年に就任した野村克也監督から短いイニングで先発を勧められたが、救援にこだわり40試合登板で、2勝2敗12ホールド。通算500試合登板を達成した翌07年9月12日のオリックス戦(フルキャスト宮城)が現役最終登板に。プロ16年間で36勝43敗95セーブ14ホールド、防御率3.57の成績だった。

 ちなみに河本は引退インタビューで特に思い出に残るストレートとして、落合と対戦したときに投げた1球を挙げている。「ランナーが何人かいて、見逃し三振を奪ったんです。外、外と攻めて、最後にインローにズバッと。バッティングが非常に巧みな落合さんが、まったく手の出ない感じで、あっさりとベンチに引き返して。自分にとって最高のストレートでしたね」。野球ファンが酔いしれた糸を引く快速球は色あせない。

写真=BBM
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