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グリエルらキューバ人選手が「伝説の人」と尊敬する日本人の天才打者とは

 

球界を代表する長距離砲として


2004年、打率.305、40本塁打、100打点と覚醒した多村


 キューバ代表で活躍し、アストロズでも2017年に球団史上初のワールド・シリーズ制覇に大きく貢献したユリエスキ・グリエルが「伝説の人」と尊敬の念を明かした天才打者がいる。横浜(現DeNA)、ソフトバンク中日でプレーした多村仁志だ。

 多村は横浜高で3年春夏に甲子園出場。斉藤宜之(元巨人ほか)、紀田彰一(元横浜ほか)とクリーンアップを組み、高校通算14本塁打を放った。当時から野球センスは光っていたが、同級生で高校通算41本塁打を放った和製大砲・紀田のほうが注目度は高かった。紀田は中日、横浜が競合し、交渉権を引き当てた横浜1995年ドラフト1位で入団。多村は同年のドラフト4位で横浜に入団してプロでもチームメートになる。

 度重なる故障もあり、一軍に定着するのは高卒6年目の00年。84試合出場で打率.257、7本塁打を放つと、その後は伸び悩んだ時期もあったが、03年に91試合出場で打率.293、18本塁打をマーク。外野の定位置をつかんだ。そして、背番号を「55」から「6」に変更した翌04年に覚醒する。開幕戦でプロ入り初の先発出場すると、春先は不調だったが山下大輔監督が我慢強く起用し続けた。その期待に応えて6月以降は調子を上げ、日本人打者で球団史上初の3割、40本塁打、100打点を達成した。05年にも交流戦でトップの12本塁打を放つなど2年連続打率3割、30本塁打をマーク。球界を代表する長距離砲としての地位を確立した。

 ミート能力が高く、広角に本塁打を飛ばす。すごみは打撃だけではない。中堅の守備では俊足を生かした広い守備範囲と強肩は球界屈指。右翼を守る同学年の金城龍彦との「右中間コンビ」で再三チームのピンチを救う美技を見せた。

 06年に開催された第1回WBCでは準決勝・韓国戦でアーチを放つなどチームトップの3本塁打、9打点をマーク。決勝・キューバ戦も押し出し死球で先制点を生み、5回にも中前適時打を放つなど世界一に大きく貢献した。身体能力の高さと攻守走の高い技術は外国人選手たちからも一目置かれた。特にキューバでは大人気で、巨人でプレーしたフレデリク・セペダは多村がソフトバンク時代に使っていたバットを愛用していた。グリエルも14年にDeNAに入団して多村とチームメートになった際は、「多村さんはキューバで伝説の人。一緒にプレーできるのがうれしい」と目を輝かせ、本塁打を打った後にベンチ前で多村と熱い抱擁を交わすのが定番となっていた。

最後は古巣でユニフォームを脱ぐ


ソフトバンクでも力強い打撃を見せ、2010年委は打率.324、27本塁打、89打点を記録した


 07年に寺原隼人とのトレードでソフトバンクに移籍すると、09年に登録名を本名の多村仁から多村仁志に変更。10、11年のリーグ連覇に貢献する。11年の日本シリーズ・中日戦では足の指が骨折していたが強行出場し、3戦目にアーチを放つなど打率.370とMVP級の活躍で日本一に導いた。12年オフ、DeNAにトレード移籍。7年ぶりに古巣へ復帰すると、勝負強い打撃でファンから絶大な人気を誇った。若返りのチーム方針で15年は4試合の出場に終わり退団したが、多村の野球への情熱は消えなかった。16年に中日に日本球界最年長の38歳10か月で育成契約を結ぶ。支配下登録を目指したが故障の影響もあり、同年限りで現役引退した。

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2013年にはDeNAとなっていた古巣に復帰した


 引退時に行われた週刊ベースボールでのインタビューで現役生活を振り返っての思いを次のように語っている。「まずは、まさか22年間もプレーするとは思っていなかったですね。もっと早く引退していてもおかしくなかったという気持ちはあります。レギュラーになるまでは10年かかりましたから、遅咲きなのかもしれません。ケガをたくさんしてきて、そのたびに復活をして……成績もそうですけど、そっちのほうが僕は誇れるのかな、と思いますね。これだけケガをしてきても、必ずグラウンドに戻ってこれたことが」。

 そして、「もしケガがなければ、どれだけの成績を残していたのかという想像をしてしまいます」と取材者が言葉を継ぐと「それは皆さんに言ってもらいますね。でも、これが僕の野球人生だと思っていますし、みんなが経験できなかったことだと考えています。ケガをすることで自分の体を見つめ直したり、勉強したり。今は引き出しができました。今後、教える立場になったりするかもしれないですけど、そういうときにはいろいろなことを伝えられるのかな」と話した。

 全盛期は「メジャーに最も近い日本人野手」と称された天才打者の通算成績は1342試合出場で打率.281、195本塁打、643打点。度重なる故障に見舞われたが、国際大会優勝、両リーグで日本シリーズ優勝、二軍優勝、育成選手とすべてを経験した日本人選手は多村しかいない。栄光も試練も味わった天才打者のプロ22年間は濃い。

写真=BBM
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