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実働わずか5年…平成生まれ初の盗塁王に輝いた巨人のスピードスターとは

 

2007年、熊本工高から高校生ドラフト1巡目で巨人に入団した藤村


 1934年に発足し、日本プロ野球チームの中で最長となる85年の歴史を持つ巨人。これまで数多くのタイトルホルダーを輩出してきたが、その中で意外と受賞人数が少ないのが「最多盗塁」のタイトルだ。

 実は日本プロ野球が始まった1936年から現在までに、盗塁王となった巨人の選手は6人しかいない。巨人初の盗塁王となったのが1リーグ時代に活躍した呉新亨。2リーグ制となってからは、1966年に「赤い手袋」がトレードマークだった柴田勲、1971年には驚異的な守備力でV9時代の巨人を支えた高田繁が受賞している。その後、1982年には松本匡史、1990年には緒方耕一が盗塁王となった。

 緒方は1993年に2度目の最多盗塁のタイトルを獲得するが、6人目のスピードキングが誕生したのはそれから18年後の2011年。プロ入り4年目で念願の一軍昇格を果たした苦労人がいきなり最多盗塁のタイトルを獲得する。それが藤村大介だ。今回は、巨人6人目のスピードスター・藤村大介の足跡を紹介する。

プロ注目のオールラウンダー


 中学時代は熊本南シニアに所属し、全国大会ではベスト16まで進出した藤村は、中学卒業後は川上哲治をはじめ、数々の名野球選手を輩出した熊本工高に進学。100mを11秒の俊足を武器にレギュラーに定着すると、2年夏の甲子園では3回戦に進出、3年春のセンバツはキャプテンとしてチームをベスト4に導いた。くしくも父である藤村寿成も九州学院高で俊足の一番打者として活躍しており、親子二代で春のセンバツに出場を果たした。

 残念ながら甲子園では決勝に進むことはなかったが、高い走力と守備、打撃力を兼ね備えたオールラウンダーとしてプロも注目しており、2007年の高校生ドラフトでは上位指名されることが目された。その期待どおり、藤村は幼少期よりあこがれていた巨人から1巡目指名(佐藤由規を第1回入札で外しており外れ1巡目での指名)を受けることとなる。

 高校生ドラフトから約1カ月後の11月8日に仮契約した藤村は、球団から背番号54を与えられる。「熊本工高の先輩であり、巨人の先輩でもある緒方耕一が背番号44番を着けていた。これを上回る54番を着けて先輩を超えてもらいたい」という理由で、この背番号に決定したという。こうして藤村は球界の盟主の一員として、プロ生活をスタートさせた。

偉大な先輩と並ぶ初タイトル


快足を生かして、4年目に盗塁王のタイトルを獲得


 あこがれの巨人でプレーすることになった藤村は、1年目は二軍で38試合に出場し、打率は3割超えと上々の結果を残す。翌2009年も引き続き二軍で育成されることになり、64試合に出場。打率は.276と前年より下がるも、10盗塁と自慢の走力をアピールした。2010年はフレッシュオールスターに選出されるなど好調で、84試合に出場して盗塁数も17と結果を残す。そうした活躍を受け、秋季キャンプでは原辰徳監督が藤村を強化指定選手に指名。まさに飛躍の1年だったといえる。

 迎えた2011年も二軍でシーズン開幕を迎えるが、この年の巨人は序盤から主力のケガが相次いだため、5月冒頭に念願の一軍昇格を果たす。加えて二塁手を務めていた脇谷亮太が不振に陥ったこともあり、5月10日の横浜戦(上毛敷島)では、試合途中から藤村を脇谷の代わりに二塁で起用。途中出場であったが、これが待望の一軍公式戦初出場となった。

 初出場の横浜戦で藤村はいきなり盗塁を記録すると、二番でスタメン起用された14日の広島戦(マツダ広島)では初ヒットをマークした。長打力はないが、小技と俊足を武器に相手チームを翻弄する藤村は次第にチームに欠かせない戦力に成長する。最終的にこの年は119試合に出場して打率.222、78安打、盗塁はリーグトップの28個を記録。一軍定着初年度でいきなり個人タイトルを獲得した。

 巨人の選手が最多盗塁のタイトルを獲得するのは緒方以来18年ぶり。藤村は高校、巨人の先輩であるあこがれの存在に並ぶこととなった。また、平成生まれの選手が個人タイトルを獲得するのはこれが初めてで、「平成生まれで最初」という、後にも先にも一人しか得られないレアな勲章も得ている。ちなみに、藤村は小学生時代から「巨人にドラフト1位で入って盗塁王と本塁打王を獲る」のを目標に掲げており、まさに有言実行であった。

急激な不振に陥り現役を引退


 初タイトルの獲得など充実の1年を過ごした藤村は、オフに背番号を「0」に変更。年が明けて2012年は開幕一軍入りを果たし、さらなる活躍を目指した。しかし、寺内崇幸の台頭により出場機会は徐々に少なくなり、結果的に盗塁数も激減。最終的にこの年は109試合に出場したものの、14盗塁と前年の半分の数字に終わってしまう。

 翌2013年は前年以上に打撃不振に陥り二軍スタート。その後はチーム状態によって一軍昇格を果たすも、結果が出せずにすぐに二軍落ちと、不安定なシーズンを過ごした。結局、打率は.191と不振から抜け出すことができずにシーズンが終了。そのオフには片岡治大井端弘和という実績のある内野手がFA加入したため、2014年はさらに出場機会を失うことになる。

 2015年はケガの影響もあり一軍出場はなし。2016年もわずか5試合に終わってしまう。この年のオフにチームから自由契約となった藤村は、入団10年目の節目の年に、若干28歳で現役を引退することを決意した。その後、巨人の球団職員となり、現在は三軍内野守備走塁コーチとして、後進の育成に尽力している。

 プロ生活は10年だが、一軍での実働はわずか5年。それでもいきなり盗塁王になった活躍は、多くのファンの脳裏に焼き付いていることだろう。今後、藤村の指導を受けた選手の中から巨人史上7人目の盗塁王が生まれるのか、ぜひ注目したい。

文=中田ボンベ@dcp 写真=BBM
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