一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 捕手が捕れなくても関係ない
今回は『1972年3月27日号』。定価は100円。
オープン戦が始まった。巨人は野手陣の故障者が相次ぎ、投手陣は今一つ。ただ、エースの
堀内恒夫のみが新魔球を武器に快投を見せていた。
魔球の名は「身延山ドロップ」。この年、自主トレで行った寺での修行にかけたものだが、堀内に言わせると、「ドロップではない」という。
「握りや回転も直球とほとんど同じですよ。しかもハーフスピードだから打者から見たら一番打ちごろに見える。ところがちょこっと沈むんだな。それも沈み方は2種類。スライダー的に外に沈むのと、
シュート的に内側に沈むのがある。捕手だって捕れないときがあるけど、打者が手を出してくれるから問題ない。本当に身延山のご利益みたいな球です」
川上哲治監督も「この球があれば20勝できるよ」とご満悦だった。
堀内によれば、魔球の習得は、身延山にいたとき、たまたま中学生が来て、彼がグラブとボールを持っていたので、気分転換でキャッチボールをしていたときだったという。
その子の球が少しだけ落ちるのを見て、握りを聞き、自分でも試してみたのだというが、やや出来過ぎか。
前年秋の日米野球で、オリオールズのパーマーから落ちる球を伝授されたという話もあったが、果たして魔球のルーツはどちらだろう。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM